バッハ フーガの技法 何度聴いても分からない。バッハが見えていたもの。

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音楽の構造 不思議なフーガ なぜこんな構造なんだろう?

世間では森友問題や野球などで盛り上がってますが、僕はひたすらバッハを聴いています。最近は好きだったパットメセニーとか、ウェスモンゴメリーとか、そういったジャズ系や、あるいはラベルとかドビュッシーなどといった近代の音楽家などもまったく聴かないようになりました。

もうほんとに家に帰るなり バッハ漬けの毎日です。ただただひたすら聴き込む。ギターももちろん弾きますけど、聴いてる時間の方が圧倒的に長いです。

このページではバッハの作品でもいわゆるフーガと言われるものについて書いています。

フーガについてもっとも有名だと思われる フーガの技法 フーガとはいったい何なのか?

基礎的なことはウィキで調べればすぐにわかることなのであえて書きません。要するに主題が提示され、それが形を変えて繰り返され、それらが一体となってひとつの音楽になっている。

和声感の進行感みたいなものはあるのですが、パッと聴いて、それにコードプログレッションがあるか? と問われれば僕には正直感じ取れない部分もあるのです。

コード理論とか機能和声の考え方に ”毒されている” 僕の耳にはホントに異質なものとして聴こえます。

ルネサンス音楽もこんな感じなのですが、感覚的にはとても好き。時代の流れでいうとバッハは当然、前時代の音楽遺産を引き継いでいるわけで、フーガの原点がルネサンス音楽にあるという見方はおそらく間違ってはいないと思います。

音楽を創ることの 動機 衝動

ただ、なぜこういった複雑な音操作というか構成をやりたいと考えたのか?

僕にはそこがものすごく興味がある。なんでこんな発想が生まれたのか? 音楽を作るにあたっては模倣することは簡単なのですよ。いろいろ研究して特徴をあぶりだして、それらを再構成して作るということは誰しも行うことなんです。

いわゆる コピー ですね。有名なものや、あるいは個人的に気に入ったフレーズ、和音のつなぎ方などを、そっくりそのままコピーして分析して、あらたに自分流にアレンジして聴かせると。

バッハもおそらく昔の楽譜などをみて研究したのではないかと思いますけれども、なにか動機といいますか、そういった衝動みたいなものがなかったのか?

同じようなモチーフを何度も繰り返して一つの曲として完成させるといったような ”技術的な挑戦” からこういった作品群を作ったのか?

あるいは、なにか音楽に対する洞察からこういったフーガという形式にこだわったのか?

僕自身は「音楽制作に対する技術の誇示」のためにフーガにこだわったというよりも、音楽に対する自身の洞察から、前時代的ともいえるフーガによる作品を残したんじゃないかと思いたい。

バッハには何が見えていたんだろう?

BWV 1080 – Art of the Fugue (Full Score)

単旋律をいかに豊かに聴かせるか?

作曲の技術的側面からいうと、フーガの技法というのは、あるフレーズを展開しながら「どれだけ豊かに拡げることができるか?」というようにも捉えることができる。

似たような概念だと 「アドリブ」 というのがありますが、これはちょっと違うと感じます。ジャズなんかでよくあるアレです。

なぜ違うかというと、ジャズは基本となるコード進行の枠内でモチーフを展開していくのに対し(代理コードを想定し複雑にしたりはするが)、バッハにはコード進行という概念がまずない。

あくまで旋律が重なって発生した和声感があるだけで、最初からコードなどという枠組みで考えてはいません。

我々が感じるバッハの和声感は完全に「今現在、僕たちが持っている音楽知識と感覚」からくるものであって、バッハと同じ感覚で聴いているわけじゃない。

結論 フーガの技法 なぜこんな方法で音楽を創ったのか?

やはり単旋律というか、ひとつのモチーフ、メロディをどうやったら豊かに響かせ、ひとつの作品としての統一感を持たせて飽きずに聴かすことができるか?

ということに対しての答えではなかったか?

思想的なことや直接の動機ってのはやっぱり僕には分からないです。

 

 

 

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