ブルガリアンボイス と 赤とんぼ ペンタトニックが持つ音楽の普遍性

スポンサーリンク

ペンタトニックによるメロディー ブルガリアンボイス と 赤とんぼ を聴いてみよう

僕が好きな曲に 赤とんぼ があります。小学校でしたか音楽の授業で習った記憶がみなさんあると思います。作曲者は 山田耕作 ですね。

赤とんぼ

今回は 男はつらいよ の 渥美清ヴァージョンを聴いてみました。1曲目です。

『赤とんぼ』『叱られて』『浜辺の歌』渥美清

なんか良いですぇ。バックサウンドのアレンジはあんまり好きじゃないですが、寅さんの声はいいです。演歌みたいなのはほんとに好きじゃないけど、案外 受け入れるような遺伝子みたいなものが備わってるのかもしれません。

今度はブルガリアンボイスです。まずは聴いてみましょう。

Folkloren Hor "Filip Kutev" (part II)

ブルガリアンボイス というのは もともとスラブ系のブルガリアで継承されている民謡で、近年は鑑賞音楽として合唱団として活動されているものを指していると思われます。動画もそれです。

どこか なじみのある唄に聴こえます。こぶしがあるし、日本の民謡にも聴こえます。

この二つの曲。ギターでもなんでもいいのでメロディーをなぞってみて欲しい。単純に使われてる音を並べてみると 5音音階 いわゆる ペンタトニック で構成されているのがわかります。

赤とんぼ は日本古来の民謡ではなくて、、1927年(昭和2年)に 三木露風の作った詩に山田耕作が曲をつけたもの。けっこう新しい曲なんです。

ペンタトニックは原始的なイメージを想起させる

ブルガリアンボイスは いくつか洗練された要素はあるけれども、歴史的背景があり、新しく作られた音楽といったものではありません。いっぽうの 赤とんぼ。これは比較的新しい時代に作曲されたものではあるけれども、なぜか洗練されたイメージはなくて、素朴で郷愁にかられる曲調です。

作曲者の山田耕作は 明治の時代にすでにドイツに音楽留学しており、けっして世界の音楽を知らなかったわけではなく、当時の最先端の音楽に触れていました。

赤とんぼ があのような曲調になったのは、おそらく詩にたいする洞察からきたものであり、音楽的に未熟だったということではありません。狙って書いたんです。郷愁を。

ペンタトニックは原始的なイメージを想起させることを彼はちゃんと知っていて、意識的にそれを使ったと思います。

ペンタトニックは原始的であるというレトリック

なぜ ペンタトニック は 原始的、素朴、郷愁、未開、プリミティブ、古風、古い、その他これらに類するイメージが付きまとうのか?

もともと人間にはペンタトニックを理解する能力があるとか、遺伝的に5音音階が備わっているとか、いろいろ議論はありますが、僕は 自然界との類似 という観点から考えます。

じつは すでに多くの先駆者たちが 自然界との類似 という観点で数多くの論文やら書籍が出ています。私がこれから書くことも どこかで見たこと 聞いたことがある内容となるでしょう。

まずは フィボナッチ数

これは 隣り合う整数を足していく という単純な数列のことです。最初は 0、つぎは1です。その次も1、今度は2になります。このように足していく。

ただの数の遊びのようにも見えるフィボナッチ数列。じつは 自然界の数字の現れ方 と深いつながりがあります。このことを説明したウェブ資料のリンクを貼っておきましょう。

 

 フィボナッチ数の魅力 ―自然界に現れる数列 - | Technity
フィボナッチ数の魅力 ―自然界に現れる数列 – | Technity

もうひとつの資料は 黄金分割 に関する資料。以下に紹介するウェブページが分かりやすいです。

‰©‹à”ä 黄金比

黄金比とフィボナッチ数の関係とは

すでに答えは紹介した記事のなかにあります。

フィボナッチ数列の隣同士の数の比をとるとその比が次第に黄金比に近づいていきます。 つまり,フィボナッチ数列の隣同士の数の比は,黄金比の近似的な値が並んでいるということです。

実はこの比率がペンタトニックの音程の比率 つまり周波数の比率としてあらわれているのです。

基音の周波数はなんでもいいんです。ここで問題にするのは 周波数の比率。基音のヘルツではありません。音程関係に黄金分割の比率が現れているという事実です。いったいこれは何を意味するのでしょうか?

黄金分割の比率は自然界においてのみ観察されるものであり、無機世界には存在しない

黄金分割比率は無理数です。どこまでいっても割り切れる数字ではありません。その比率は無機物 たとえば鉱物とかの結晶などには見られません。いっぽうで この比率は有機物に多く見られます。植物の枝の付き方とか、花弁の様子、有名なところでは 巻き貝 にみられる螺旋模様などです。

ここで思い出してほしいのは 自然倍音列 です。この事象は自然界の事象ですが、有機物とは関係ありません。しかし 割り切れない倍音は現実に存在します。ピアノでは出せない倍音が存在するのです。

便宜上 それらの存在はするけれども表現できない音 というのは ピアノにおいては濁った音として表現されます。隣り合う鍵盤を同時に叩いて表現します。あるいは 四捨五入 のように高いほうか、もしくは低いほうの音として扱われます。

クラッシック音楽の歴史をたどると、意識的にそれらの音は抑圧され、黒鍵盤 として 見ての通り 奥のほうに引っ込められてしまいます。白鍵だけを弾くと 教会旋法 7つのモードが得られ、黒鍵だけを弾くと ペンタトニックモード が得られます。この引っ込められた音組織こそが現在ペンタトニックとして知られる音組織なのです。なぜペンタトニックは抑圧され、引っ込められてしまったのか?

音楽表現としての楽器の特性にヒントがあるのかもしれない

ヨーロッパの楽器の変遷を知ることが、これらの問題にたいする有力なヒントになるかもしれません。

ヨーロッパの楽器には大別して二通りあると考えます。

一つはギターなどの いわゆるストリングス。ギターの元祖はリュートであり、もっとさかのぼればギリシャの竪琴に行きつきます。もうひとつはピアノに代表される鍵盤楽器。元祖はチェンバロ。もっとさかのぼると・・

 

ピアノの元祖、ダルシマーの華麗なる響き:のびやかな暮らしピアノの元祖、ダルシマーの華麗なる響き:のびやかな暮らし

上のリンクにあるようなダルシマーという楽器に行きつきます。とても神秘的な響きが使われています。

ピアノに話を戻しますと、大きな転換点というのは 平均律 にあると思います。歴史の時系列からいうと つい最近といってもいい。おそらく ペンタトニック という音組織は 邪魔だったのではないか。基音からみて4度、そして5度を基調とするペンタトニック。これは転調を自由にする平均律からみれば、とても扱いにくい音組織だった。

クラッシック音楽における 和音の定義を三度堆積を基準とする考え方(いわゆるドミソ) からすると、黒鍵盤をつくらずに12音を平均化して鍵盤上にずらっと並べる構造はとても弾きにくく、その肉体的制限から、現在のような鍵盤構成になったのではないか?

ピアノの鍵盤配列について いろいろ検索してみたのですが、どれも理由はイマイチはっきりしません。

イオニアンモードの優位性から現在の配列になったというもの、あるいは演奏上の利便性からというものなど、現在の鍵盤配列になった理由については諸説あるようです。いずれにしても結果として Cを基音とする7つのチャーチモード以外の音は ペンタトニック音組織 として黒鍵盤として小さく奥に引っ込められた。

ロックミュージック と クラッシック音楽 二つの対比

なぜロックがエレキギターという楽器をメインとして発展してきたか? そしてクラッシック音楽が なぜピアノをメイン楽器として発展してきたか?

一般的な見解として意味をくみ取って欲しいのですが、ロックミュージックは衝動的で感覚的です。ガツンとくるイメージがあります。言葉を変えれば 原始的 といえます。音組織という技術的な面から言うと ペンタトニックを主体として音楽が構成されているからです。だから知的な面から感覚にアプローチしてくる音楽というよりは、もっと本能的な面から聴衆にアプローチしてくる音楽という側面があります。

いっぽうのクラッシック音楽のイメージとしては 知的で洗練されたイメージがあります。クラッシック音楽においてブール―ノート(ペンタトニックの変形と考えていい)が使われる例はごくわずかであり、ほとんどが いわゆるドレミファで構成されています。もちろん転調はありますけれども。ペンタトニックという音組織が中心となって構成されている音楽ではありません。

だから どちらかというと知的側面から聴衆にアプローチする音楽だといえると思います。

こういった考え方は ブルース音楽 を考えるヒントにもなります。ブルースはあなたの想像どおり、感覚的な音楽なのです。知的に考えられた音楽ではありません。これは侮辱して書いているわけではありません。ブルース音楽の歴史を振り返ればおのずと答えは一致するはずです。なおかつ ここには楽器のチューニングも重要なファクターとしてあるのです。

ペンタトニックは有機的 イオニアンモードは無機的という対比

以上 述べてきたことからペンタトニックの音組織というのは、有機物にみられる特徴と非常に似通っていることが示唆されます。つまり古来より存在する絶対的真理と言い換えることができるかもしれません。人工的に後天的に備えられた性質ではなく、我々人類が生まれながらにして備えている特徴。

いっぽうの我々が後天的に獲得したドレミファソラシド。これは 現在 あたかも先天的に与えられた音の感じ方として捉えられているのかもしれませんが、実は比較的新しい音組織であって、これが音楽の絶対的考え方というわけではないのです。

だからペンタトニックの音組織というのは聴く人に郷愁をもたらすのであって、その特性は全人類が共通の概念として生来的に獲得している原始的な感覚であると言えると思うのです。


 

以上 長々とつたない知識でペンタトニックの原始性について書きました。関連する話題として、ロックの歴史、クラッシック音楽の歴史 チューニングについても触れましたが、また追記で書き足したいと考えています。

いったん休止です。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました