結局は自分にとって利益があるかどうか
ずいぶん難しいことをタイトルに書いてしまいました。
ニュースを見ていて、”シェアリングビジネス” という言葉、ビジネスモデル についてひっかかる部分があったからです。
結論からいいますと・・・
自分にとって利益があれば共有することは ”良いこと” である。
そこには、思想的な背景はなにもありません。
関係者にとって利益があるから共有するだけです。
共有できる概念にはどんな種類があるか?
さきほどの ”自分にとって利益があるならばシェアする” という考え方を逆にしてみます。
”自分にとって利益がないならばシェア、共有しない”
これには”考え方”も含まれます。
金銭的な見返りがなくても、自分にとって益があればシェアします。これは価値を提供する側の価値観に依存する。
たとえば信用を得る、尊敬を得る といった場合です。
おそらく一般的には・・・
”使われていない資産を有効利用するために共有して、そこから利益をえるビジネス”
これがシェアビジネスの基本だと思いますね。
共産主義とはまったく関係がない。
共有できる概念
- 笑い
- 笑顔
- 感動
- 休眠資産
- 公共サービス 図書館とか公園とかの公共物、概念
マイナスイメージには共有という概念がない
いま、考えていて不思議に感じたことがあります。
マイナスイメージを持つ言葉には、シェアとか共有する気持ちがなぜか湧いてきません。
これはなぜなんでしょう?
理由は簡単。
”つまらないこと、人を嫌な気分にさせること” を広めることに ”意味はない” ことをみんな知っているからです。
それは無意味、無価値であると考えているからです。
だから 共産主義は価値のないものを共有しようとはしない。値打ちのあるものだけをみんなで共有しようとする。
だれがその ”値打ちのあるモノ” を創造するのか?
そこには動機が必ずあります。
値打ちがあるモノを創造する動機とは?
結論から言うと・・自分に利益があると考えるから値打ちがあるモノを創造しようとします。
僕はそう考えます。
評価されたいと思うから良いモノを作ろうとする。「だれにも評価されないものを作ろう」なんてだれも思わないし、見返りを期待できるからこそ良いモノを作ろうとします。
ここに共産主義の矛盾があります。
生産性の上がらない原因、一見すると良識ある考え方だが、結局、独裁になってしまう原因。
なにも生産しない人には、とてつもなく都合の良い考え方です。
逆に生産性の高い人にはとてつもなくつらい考え方。
人には見返りが絶対必要なんです。
ただし見返りは、必ずしもお金である必要はなく、
見返りを受けるその人の価値観による。
なんかヘンなこと書いちゃいましたね。
まあ、これもいいんじゃないかと思います。僕のブログですから。
では。
コメント