ギターでロックもジャズもやるけど、クラッシックだけは別次元だ。
ギター音楽全般はとても好きなので、ジャンルにこだわらず、いろいろ聴いています。ロックは言うに及ばず、ジャズやクラッシック、民族音楽とか、果てはコーラル イスラムの詠唱や、教会音楽、そしてその詠唱(グレゴリア聖歌)なども好きです。
とくにギター音楽に関して言うと、やはりクラッシックとかフラメンコなどが音楽的に好き。フラメンコはややワンパターンというか音楽的にはあまり広がりはないけど、クラッシックギターは音楽的にも技術的にもロックやジャズとは異質です。
なぜ異質なのか?
その理由について私の思い込みを書いてみます。
コードネームシステムは現代の考え方
いわゆるポップス、ロックやジャズ全般についてのざっくりした考えについての話です。
話はちょっと複雑で、音楽史についての話から始めなければなりません。端的に言ってしまうと、
昔はコードネームシステムなどなかった。音楽をコードネームで考えて作曲することなどなかった。
音程関係についての共通感覚としては、今のコード理論に通ずる聴感覚を当然みんな持っていたのだろうけど、1度、3度、5度 といった3度堆積音を展開した和音というのは別物として扱っていた。
どれくらい昔かというと、1722年までコード理論的な概念はありませんでした。現代のコードネームシステムとは少し違うと思いますが、コード、和声という概念を体系的に理論化したのは、
ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau
が最初だという理解でよいはずです。
ちなみにバッハは1750年没ですから、ほぼ同時期に活動していたと考えてよい。どういう接点があったのかは知りませんが。なんらかの影響がお互いにあったのかもしれません。
二人ともバロック音楽の最後尾に位置する音楽家ということになります。バロック音楽の集大成としてコード理論が導かれ、それはバッハの音楽に集約されていると考えてもいい。
コード感覚は通奏低音を使用するバロック音楽にすでに内包されていたわけですが、ここでモノフォニーとポリフォニーについても考えてみます。
ポップスははっきり言ってモノフォニーだ
モノフォニーとは主旋律があって伴奏があるという一般的な感覚でいうところの歌です。
これは極論かもしれないけど、フォークギターをじゃらじゃらかき鳴らして、適当なメロディを歌う状況を想像してみてほしい。聴こえるのは単旋律だけで、ハーモニーらしいハーモニーはないです。
試しに、あなたが知らないメロディを、単旋律だけで歌ったもの、あるいは何か楽器でメロディだけを弾いたものを聴かされて、あなたはそれがどういうハーモニーを伴っているのか、頭の中で聴くことができるのか やってみてほしい。
おそらく 「どんなハーモニーがしているのかまったく分からない、聴き取れない」 となるでしょう。これがモノフォニー状態です。
これに例えば バス部 いわゆるベースラインの音がくっついてくるとかなり明瞭に聴きとれるようになります。こうなってくると多声音楽となり、結果としてハーモニーが生まれ、それがどういうシチュエーション(文脈上は和声的状況のこと)で歌われているのかがより明瞭に認知できるようになってきます。
ここでモノとポリの線引きなんですが、これが実はかなり誤解されていて、ややこしいことになっているんじゃないかと感じます。
多声と和声 横と縦
まず結論から言います。
多声とは横の時間軸、和声は縦の断層写真である。
ちょっと順序は逆になりますが、まず和声です。これをコードと置き換えるとわかりやすい。バーンと鳴らしたときの音の積み重ねです。おそらくトップノート 一番高音の部分がそのコードのメロディとして認知されると思います。
これがモノフォニーです。
一方の多声は、動きを伴った複数の横方向を指します。この発想ではトップノートが常にメロディとして認知されるわけではなくて、複数の線がそれぞれ入り混じって、ひとつのメロディとして認知される。
瞬間だけを切り取れば、明らかに和声的なのですが、発想する段階では和声として考えていません。気持ちよく音がぶつかる、あるいは重なるといってもいいのだけれど、そういうふうに構成を考えるわけです。
こうしてできたのがポリフォニーじゃないかと思います。
それでポップスというのは明らかに発想からコードで考えていますからモノフォニー的音楽、そしてクラッシク、とくにバロックは発想そのものにコード理論などありませんでしたから必然的にポリフォニー的音楽というわけです。
この考え方の違いから、クラッシクギターというのは異質だというわけです。
結果的に両者とも和声ができ、どちらも和声の束縛というか響きからは逃れられないのですが、明らかに違いはある。
バッハ 小フーガ ト短調 これをコード進行で発想できるか?
バッハに有名な曲があります。詳しくは検索などで聴いてほしいのですが、同じモチーフをキーを変えて輪唱のように重ねていく曲です。
曲を聴いていくと一応コード感覚で聴きとれる部分も多い曲なのですが、どう考えてもモノフォニー的発想で作られた作品ではないというのは感じ取ってもらえると思います。
たぶんコード進行だけでこういう作品を発想することは無理で、横方向の時間軸もかなり意識しないと無理。
クラシック技法は逆に新鮮に聴こえる。だから異質。
僕がクラッシック音楽、そしてクラッシクギターに魅力を感じるのは、この 異質感 なんですね。
発想からして違う異質感。適当なコード進行にのっかってアドリブをするのも楽しいといえば楽しいのだけど、もっと音楽の本質的な部分に触れたいという欲求。
べつにロックやジャズをけなしているわけじゃないです。ロックやジャズでも良いものはいい。しかしそこに何かポリシーというか理念というか、まあ平たく言うと考え、概念がないとものすごくツマラナクて、うすっぺらく感じてしまう。
クラシックはとっつきにくくてなんか難しい感じがしますけれども、僕には魅力的だという話でした。
いろいろクラシックギターについて調べてみたんですが、やっぱり良いものは高いですね。まあ安いギターでもいいんですけど、たとえば2万、3万円ぐらいとかね。
でもやっぱり手工品といわれるギターがいいなあ。
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