義務感と好奇心
今回はひさしぶりにブログからの話題です。
以前から 「良いブログだなー」と思っていた ICHIROYA さん。
今回は ”誰かの役に立つこと” と ”好奇心” というタイトルです。
僕がつべこべ能書きたれるより、読んでみて欲しい。
生活が義務感で ”おなかいっぱい” になっていないか?
彼の言いたいことのひとつは、まさにこれ。
ワクワクしない。何をするにしても義務感に支配されている。本人は懸命にがんばってるんだけど、なんかワクワクしない。楽しくない。
それらがすべて ”善いことなんだけど、ワクワクしない・・” なんでだろう?
すべてワクワクすること、たのしいことは好奇心からはじまることを彼は知っている。
”人の役に立つこと” をおこなうことはすばらしいことです。これはまったく同感で、突っ込むとこなんてなにもないです。賞賛されるべきであり、尊い精神です。
でもこれが何かの動機としてあると、じつに息苦しく、重く、重大な責任を感じることになる。
そうではなくて、みずからの好奇心におもむくまま、”熱中すること” が動機としては望ましい。
なぜなら、”おもしろくてたまらないからやってる” というほうが毎日ワクワクしながら過ごせるに決まってるから。
そういうものを見つけた人は幸せだなーと思う。
ニュースピックスでは、キャリアの話なんかでよく盛り上がります。
最近では ”ゆるい就職” など、若い世代の働き方などについてトピックがあがります。
そういう流れから、ICHIROYAさんの、この ”好奇心” というテーマをとりあげてみました。
安定した生活を望むのか?あるいは刺激的で好奇心にあふれた生活を選ぶのか?
これは、今にはじまったテーマではありません。ずーっと以前からあるテーマだと思います。
結局は、”自分の価値観” で自己責任で選択すること。
自分にとって幸せとはなんなのか?
世代を超えたテーマだと思います。一見すると正解などないテーマですが、現実的にはかなり厳しい選択、意見をされる方が多かったですね。
でも、やはりワクワクして毎日を過ごしたいという思いに違いはありません。みながそれを望んでると思います。
どうすれば、それが実現できるのか?
否定することは簡単なことです。やはり前向きでありたいです。
おわり。
コメント