就職情報誌がないことを、だれも不便だなんて思っていなかった。
”リクルートが上場すること” が話題になっています。
現在はIT企業として認知されているリクルート。創業時のことや、創業者 江副浩正 のことは広く知られていることだと思います。今回は僕なりの感想を書きます。
リクルート創業時の時代背景
ちょっと世代がちがうので、当時の大学における就職活動ってのはよく分かりません。リクルート商業者 江副は昭和30年に東大教育学部へストレートで合格します。
地方においては 高校進学率が50%ほどの時代のことです。
昭和30年代~昭和40年代(当時)では、中卒者の高校進学率は半数程度であり、「義務教育卒業ですぐ就職することが当たり前」の社会であって、「高校・ 大学は中流階層の通う上級学校」とみなされていた。高校進学相応の学力を有していても、家庭の事情や経済的な理由で進学を諦めることも多かった時代であっ た。また学力の問題だけでなく、当時は兄弟数や子供数が多い農家や貧困家庭が多かった。
江副は大阪出身です。地方といってもそれほど田舎ではなくて、また教育者一家でもあったので地元の名門校 甲南学園 に進んでいます。
東京大学新聞での活動が母体
江副は東大で東京大学新聞の発行に関わることになります。
この会は戦前からあったのですが、現在は 公益財団法人 として継続されているようです。
リクルートの原点は、この新聞が赤字となって印刷会社に未払い金をつくってしまったことにあるようです。
江副がしたこと
これまでの ”新聞を発行するための運営資金” は
大学の周辺の喫茶店や書店、先輩の会社の「お付き合
い」程度の広告収入
だけでした。これは現在でもよくある手法で、たとえば ”ある行事のプログラムに広告をのせる” とかで運営資金の足しにすることです。学校主宰の音楽祭とかね。こんなふうに発行資金を集めていたんですね。
でもそれではたかが知れています。「もっと大きく資金を集められないか?」
彼が考えたこと、それは企業の会社説明会の広告を載せることでした。
それまでは学内の掲示板とかに会社説明会の案内がされていたんですね。
これが普通だった。だれも不便だと思わずに当たり前だと思っていた。
東大ブランドは昔も今も絶大な信頼があります。企業にとっても優秀な人材に直接アプローチできます。だから人気がでたんだと思います。
彼はその後、独立して他の大学新聞にも企業広告の斡旋をします。これがリクルートの始まりです。
それまで企業は説明会などで直接アプローチしていたんでしょうね。
だれも注目しないことに目をつけた江副という男
やっぱりココが違う。
だれも注目していないこと
だれも不便だとは思っていないこと
当たり前だとおもってること
もうほんとに難しいことだと思うのですが、当たり前を疑ってみること。
これがチャンスというか ”なにかを見つける” ための考え方のひとつじゃないかと思うんです。
大多数の考えることはそれなりの理由はある。だけど一度、それを疑ってみる。お馬鹿で稚拙かもしれませんが、大事なことじゃないかと思いました。
おわり。
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