「心にしみる」「感動した」「神曲!」「天才!」などなど、この曲を称賛する声が無数にあります。
いったい何が、このLEMONという曲の何がリスナーの心を揺り動かすのでしょうか?
それを今回は考えてみたいと思います。
米津玄師 「Lemon」を聴いて何も感じない僕は心がひねくれているのだろうか?
ものすごい再生回数で圧倒的人気を誇る 米津玄師 「Lemon」
僕も興味を惹かれて聴いてみました。ついでにコード進行もコピーしてギターで弾いてみました。相変わらず歌詞の内容だけは聴いていません。というか頭に入ってこないんですね。読む気ももちろんありませんし、想像力を働かせて、感情移入をした聴き方もしません。ただただサウンドを聴くだけです。
んで、僕は何も感じなかった。
えっ!! この曲、サビとか良くないですか?
サウンドとしては使われてるコードもすごくシンプル。ただ動きがやたら細かく、ほぼ全編にわたって2拍でコードチェンジをしています。しかもダイアトニックの中で。つまり同じ調の中で細かくコードサウンドを変えているんですね。同じメロディでも別のコードに置き換えられていたりして、例えがちょっと変かもしれないけれど、雰囲気とかイメージとしては 中島みゆき の曲を聴いているような気がしてました。
はっきり言って、神曲だとも天才だとも思わない。
負け惜しみ言ってるんじゃないの?
違います。負け惜しみじゃありません。 ほんとに何も感じません。たぶん繰り返し聴くことはもうない。
彼をけなすことが目的じゃないので、これ以上は書かないでおくけれども、なぜこれほど人を感動させるのか 僕には理由が分からない。
歌詞の比重の高い楽曲は日本人好みなのではないか?
ストレートに、シリアスな内容の歌詞を歌う姿。歌詞が示唆する情景に過去の自分を投影し、そして楽曲のもたらす雰囲気、ムードなどとともに、その世界観に没入する。
音楽の楽しみ方、付き合い方はリスナー個人の自由だからどうでもいいとは理解しています。ただ再生回数が非常に多く、絶賛する声がものすごく多いということは、それだけ共感を呼ぶ内容、そして楽曲であるということですね。
音楽制作者にとって、人の感情を揺さぶることほど名誉なことはありません。その意味からいえば 「してやったり」 といったところでしょうか。狙ってやったことであるならばたいしたものだと思います。簡単には真似ができないことです。
軽い歌、アイドルがきゃぴキャピ歌って踊るだけの楽曲がもてはやされる傾向よりも、こういった本物志向の歌が好まれるのはすごく良い傾向だと思います。ただ悲しいかな僕にはそういった歌詞に比重を置いた聴き方というのができないのですね。
米津玄師 「Lemon」のコード進行についてちょっとだけ解説
この曲はG♯マイナーがキーです。モードでいうとG♯エオリアン、もしくはG♯メロディックマイナースケール、(G♯メジャースケールの3度を♭させただけのスケール)
途中で同主調のG♯メジャーに転調しますね。んでスムーズにまた元のマイナーキーに戻る。(戻し方がちょっと変わったやり方か?)いくつかのパートに分かれてますが、すべて平行調のBのダイアトニックコードで構成されてると考えてよい。トニックのマイナーコードに対してはジャズでよく使われる Ⅱm♭5-Ⅴ7♭9 が登場してます。
ラストは平行調 B のサブドミナントである Eリディアン の響きで終わるという構成。この終わり方、けっこういい感じです。
全部の流れを書くのも面倒なので、気になったところだけ書いてみました。間違ってたらゴメンナサイ。それなりに音楽理論的に勉強になる箇所もあるので、楽曲制作に興味のある方はコピーしてみる価値はあるのではないでしょうか。
米津玄師の魅力 ミーハー感を消す仕掛け(川谷絵音)
この 「Lemon」という楽曲について、川谷絵音が分析している記事がありましたのでリンクしておきましょう。
ヒットする理由について、主にリズムと楽曲構成の二点について語っています。
まずヒットすることの大前提に、この曲が 米津玄帥の作 であることを挙げていますね(笑)
言うならば、名も知られていないアーティストがこの楽曲を歌ったところで誰も注目しないということを大前提として挙げている。
当然といえば当然だけど、最初に注目される理由がなければ「だれもその作品を知ることができない」という当たり前の事実をあげている。
そして作品の良し悪しを測るためには「まず多くの人に触れて批評、批判、評価を受けなければならない」ということで、この楽曲は多くの人に聴かれて、その結果「非常に良い」という評価を受けた。
まあこれはイメージ戦略といえる部分も大きい。つまりTVドラマと連動して拡散されたことも大きくて、「米津玄師を聴くことが流行りであり、かっこいいことだ」 というように認識されていることがある。
次に楽曲中に入る「なぞの合いの手」について
なんか曲中に「ホニャ!」とか変な声が入っていますね。最初聴いたときはノイズか何かか?(笑)と思いましたが、これは意図的にやってるらしい。
どういう意図か分からないけれども、僕はこれは理解できないなと。なぜこんな合いの手を入れる必要があるのか?
単なるクリエイターのお遊びにしか思えない。川谷に言わせると、これがバラードにヒップホップのセンスを取り入れた新感覚らしい(笑)
あと手拍子というかクラップ音も入っていて、まあ乗りやすいといえばノリやすいかも知れんね。
楽曲構成とメロディのちょっとしたヒネリについては、川谷の分析を参考に。
コメント
はっきり言って全然いい曲だと思わん。
サビも中途半端で、髭ダンの方がよっぽど才能溢れる曲だろ。