ネサラ・ゲサラの本当の意味とは?僕が「お金の呪縛」の話だと思う理由

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クルー
クルー

ネサラ、ゲサラ、金融リセット、借金が消える、金が配られる……。

正直、どこまで本当なんだ?

odin
odin

まず、法律として確認できる話と、ネット上で膨らんだ物語を分けろ。

その上で、お前がなぜこの話に引っかかったのかを考えるんだ。

今回はネサラ・ゲサラについて書きます。

この言葉を知った人なら、「金融リセット」「借金帳消し」「新しい通貨制度」「世界規模の富の再分配」といった話を一度くらい目にしたことがあると思います。

中には、もうすぐ秘密の法律が発動するとか、世界中の銀行システムが一斉に変わるとか、巨額の資金が人々に配られるという話まである。

僕自身、昔からこの手の話を読んできました。

そして昔の記事では、「ネサラ法はデマだ」とかなり強く書いています。

今でも、少なくともネット上で語られているような「すでに秘密裏に成立している世界改革法」という意味のネサラ・ゲサラを、事実として受け入れるつもりはありません。

しかし同時に、僕はこの話を単なる笑い話として捨てる気にもなれない。

なぜか。

僕がネサラ・ゲサラという話の中で気になっているのは、「いつ金が配られるか」ではなく、人間がお金を中心に生きる社会そのものへの疑問だからです。

僕にとってネサラ・ゲサラの本質は、「金持ちになれる秘密情報」ではありません。人間は本当に、ここまでお金に支配されて生きる必要があるのかという問いです。

まず、ネサラとネット上の「ネサラ・ゲサラ」は分けて考えたい

この話は、最初から整理しないと何が何だか分からなくなります。

ネサラという言葉には、経済制度の改革案として語られたものと、その後インターネット上で大きく膨らんだ「秘密法」「世界金融リセット」の物語が混ざっています。

ネット上では、債務の帳消し、税制の大改革、金本位制への移行、新通貨、巨大資金の解放など、さまざまな内容が一つのセットとして語られています。

さらに、それが世界版の「GESARA」に発展したという話もある。

しかし僕が確認してきた範囲では、ネットで拡散している内容そのままの「NESARA法」や「GESARA法」が、現在の国家法として発動を待っているという公的な根拠は確認できません。

この点については、以前の記事でも書きました。

ネサラについて以前調べた記事はこちら

だから僕は、「明日からネサラが始まるらしいぞ」と言われても、そのまま信じることはありません。

ここは事実と物語を分けなければいけない。

クルー
クルー

じゃあデマなら、それで終わりじゃないのか?

odin
odin

法律が実在するかという問いなら、そこで一度終われる。

だが、なぜこれほど多くの人がその物語を求めたのかという問いは残る。

僕が気になるのは、まさにそこなんですよ。

なぜ人は「金融リセット」の話に引き寄せられるのか

普通に考えれば、「ある日、借金が帳消しになり、世界の金融制度が変わり、一般の人々へ富が戻ってくる」なんて話は、かなり都合がいい。

金に困っている人なら、そりゃ聞きたくなるでしょう。

生活が苦しい。住宅ローンがある。老後が不安。子供の学費が心配。病気になったらどうしよう。

世の中の悩みを並べてみると、驚くほど多くの問題の後ろに「金」があります。

だから「金融システムが根本から変われば、人生も変わる」という話には強烈な吸引力がある。

ただ僕は、それを単純に「欲深い人間が金を欲しがっているだけ」とは思いません。

むしろ逆かもしれない。

人間が金を欲しがるのは、金そのものが好きだからではなく、金がないと生きる自由を失う社会で暮らしているからではないか。

飯を食うにも金。

家に住むにも金。

病院に行くにも金。

勉強するにも金。

老後にも金。

何か新しいことを始めようとしても、「で、資金は?」という話になる。

僕らは、生まれた時からこの世界の中にいます。

だから、それを異常だとは思わない。

むしろ「当たり前」だと思っています。

お金は「正義」ではない。でも現実には最強の道具になっている

僕は昔の記事で、「お金は現世において最強のツールではないか」と書きました。

今も、その感覚はあまり変わっていません。

世の中で何かを決める時、必ずと言っていいほど経済性が問われます。

必要なのか。

役に立つのか。

人を救えるのか。

その前後に、必ずこの質問が入ってくる。

「それで採算は取れるのか?」

医療でもそうです。

介護でもそう。

教育でも、子育てでも、防災でも、社会インフラでも同じです。

もちろん、現実の社会には使える人材も資材も時間も限りがあります。

だから何でも無制限に実行できるわけではありません。

僕も「金なんて無視して、必要なものを全部作れ」と言いたいわけではない。

でも時々、順番が逆転しているように感じるんですよ。

本来は「人間のために経済がある」はずなのに、いつの間にか「経済を守るために人間が我慢する」という話になっていないだろうか。

財源がない。

利益が出ない。

生産性が低い。

コストに見合わない。

そう言われた瞬間、本当は必要なものまで「仕方がない」で終わる。

僕がネサラ・ゲサラという話に引っかかった理由は、この違和感だったんだと思います。

僕らは子供の頃から「金を稼げる人間になれ」と教えられてきた

考えてみれば、お金についての教育はかなり早い時期から始まっています。

「そんなもの買う金はない」

「勉強しないと将来困るぞ」

「いい学校へ行け」

「安定した会社に入れ」

「給料はいくらだ」

「家を買うならローンはどうする」

「老後の金を貯めろ」

親が悪いと言っているわけではありません。

親自身も、その社会で生きてきた。

自分の子供が苦労しないように、現実を教えているだけです。

でも、その積み重ねの中で僕らは自然に学んでいきます。

金を稼げる人間は優秀。

金を持っている人間は成功者。

金を稼げない人間は何かが足りない。

もちろん、誰もこんなことを教科書に書いて教えてはいない。

でも社会全体を見ていれば、そう感じるようになる。

高学歴。

有名企業。

高収入。

大きな家。

高い車。

そして「人生の勝ち組」という言葉まである(笑)

クルー
クルー

でも金を稼ぐ能力だって、その人の能力の一つだろ?

odin
odin

もちろんそうだ。

問題は、一つの能力を人間そのものの価値へ置き換えることだ。

僕もそう思います。

金を稼ぐ能力を否定しているわけではありません。

商売がうまい人もいる。投資がうまい人もいる。会社を大きくできる人もいる。

それは能力です。

しかし、その能力が高いから人間として上で、稼げない人は下なのか。

僕は違うと思う。

人間の価値を「いくら持っているか」「どれだけ稼げるか」だけで測ることは、根本的に間違っていると僕は思っています。

拝金主義の何が問題なのか

「金を欲しがって何が悪い?」

そう思う人もいるでしょう。

僕も金は欲しいです(笑)

生活がありますからね。

自由な時間も欲しい。やりたいこともある。そのために金が必要なのも現実です。

だから「金を欲しがる人は悪人だ」なんて話ではありません。

僕が問題だと思うのは、金が判断基準の一番上に来ることです。

人を助ける。

でも儲からない。

ならやめる。

自然を守る。

でも金にならない。

なら後回し。

子供に必要な教育がある。

でも予算がない。

だから削る。

逆に、大きな利益が出るなら、多少社会に悪影響があっても見ないことにする。

こうなった時、金は便利な交換道具ではなく、善悪を決める「神」のような場所へ上がってしまう。

僕が言う拝金主義というのは、そういう状態です。

金を持つことではない。金を最高の価値として置くことです。

ネサラ・ゲサラを「金のバラマキ話」だけで読むと逆になる

ここが僕には面白いところです。

ネサラ・ゲサラを信じる人の中には、「これが始まれば自分は大金持ちになれる」という期待を持つ人もいます。

高額紙幣を持っていれば大逆転。

特別な通貨を持っていれば億万長者。

もうすぐ巨大資金が解放される。

これだけを見ると、完全に金の話です。

しかし僕がこの考え方に感じていたものは、本来それとは反対でした。

人間を金の競争から解放する。

生きるためだけに、やりたくもないことを延々続ける状態から離れる。

金がないという理由だけで、必要な医療や教育を諦める社会を変える。

人間の価値と所得を切り離す。

そういう方向です。

「ネサラが来れば俺は金持ちになれる」とだけ考えるなら、それは結局、今の拝金主義のルールで勝者になりたいだけです。僕が面白いと思ったのは、そもそもそのルール自体を疑う考え方でした。

だから僕は、昔の記事で「お金の呪縛を解かないと理解できない話」と書いたんだと思います。

MMTとネサラ・ゲサラは同じではない。でも僕が結びつけた理由

昔の僕は、ネサラ・ゲサラとMMT・現代貨幣理論について書いた話を少し結びつけていました。

これは、両者が同じ理論だという意味ではありません。

そこは分ける必要があります。

僕が似たものを感じたのは、「国のお金を家計の財布と全く同じように考えていいのか」「財源がないという一言だけで思考を止めていいのか」という、これまでの常識を疑う部分です。

金についての常識は、とても強い。

強すぎるから、その前提を疑う話が出ると、すぐに「そんなものはあり得ない」と感じる。

もちろん、常識を疑えば何でも正しくなるわけではありません。

ここを間違えると陰謀論でも投資詐欺でも何でも信じることになる(笑)

必要なのは、疑うことと確認することを両方やることです。

「秘密法が存在する」という主張は証拠を確認する。

証拠がないなら事実扱いしない。

しかし、「なぜ人々は現在の金融制度にこれほど不満を持っているのか」という問いまで捨てる必要はない。

僕はそう考えています。

動画が消えたから「都合の悪い真実」とは限らない

元の記事には参考動画を載せていました。

しかし、その動画は後に再生できなくなりました。

昔の僕は、「デマ認定されたのか? 都合の悪いことを言ったからなのか?」と書いています。

今なら、そこも少し慎重になります。

YouTube動画が消える理由はいろいろあります。

投稿者自身が削除した可能性もある。アカウントがなくなった可能性もある。著作権や規約の問題かもしれない。

動画が消えたという事実だけでは、「真実を隠すために消された」とは証明できません。

これは僕が最近、いろいろな情報を検証する中で強く感じていることです。

ただし、動画の中で語られていた問いまで消えるわけではない。

僕が覚えているのは、単純な借金チャラや金のバラマキという話ではありませんでした。

最後は、人々の意識が変わる必要があるという方向の話だった。

その部分が僕には残っています。

もし明日、金の心配がなくなったら何をするのか

僕は時々、こう考えます。

仮に明日から、一生食うには困らない。

家もある。

病気になっても治療を受けられる。

老後の心配もない。

そうなったら、自分は何をするのか。

今と全く同じ生活をするだろうか。

嫌な仕事でも給料のために続けるだろうか。

人より偉くなることに意味を感じるだろうか。

高級車を見せびらかすことは、今と同じ価値を持つだろうか。

逆に、金にならないから諦めていたことを始める人もいるでしょう。

絵を描く。

音楽をやる。

研究する。

子供と過ごす。

誰かを助ける。

畑を作る。

何もしないでしばらく休む人だっている。

クルー
クルー

働かなくなる人だらけになるんじゃないのか?

odin
odin

それも含めて、人間は何のために動くのかという問いになる。

金で脅さなければ誰も動かない生物なのか、という話だ。

ここなんですよ。

僕は答えを持っていません。

本当に人間は怠けるのかもしれない。

それでも何かを作りたくなる人もいるでしょう。

誰かに必要とされたい人もいる。

面白いから研究する人もいる。

音楽が好きだから、金にならなくても楽器を弾く人もいる。

僕自身、そういうことを考えると、人間を動かしているものは金だけではないと思うんです。

僕がネサラ・ゲサラに感じている「本当の意味」

もう一度書きます。

僕は、ネットで語られるネサラ・ゲサラという秘密法が、近いうちに発動すると断言するつもりはありません。

「絶対に来る」「この通貨を持てば億万長者になる」といった話を事実として勧める気もありません。

そこには証拠の問題があります。

しかし、ネサラ・ゲサラという物語が投げかけた問いには、今でも興味があります。

人間はなぜこれほど金を恐れるのか。

なぜ金を持つ人間を勝者だと思うのか。

なぜ社会に必要なことまで、利益が出ないという理由で諦めるのか。

なぜ「生きるために金が必要」という仕組みを、永遠に変えられない前提だと思っているのか。

ネサラ・ゲサラが本当に問うべきものがあるとすれば、それは「いつ金が配られるのか」ではなく、「なぜ僕らは金を人間の価値より上に置く社会を当然だと思っているのか」ではないでしょうか。

僕は金持ちを悪者にしたいわけではありません。

貧乏を美化する気もない。

僕だって金は欲しい(笑)

ただ、人間の価値まで金額で決める社会には違和感があります。

どれだけ稼いでいるか。

どんな会社にいるか。

どんな家に住んでいるか。

そんなものを全部取り払った時、その人に何が残るのか。

僕がネサラ・ゲサラという話から考えたいのは、結局そこなんです。

お金は便利な道具です。しかし、お金は正義ではない。そして、人間の値札でもない。

秘密法が来るのを待つより先に、このことくらいは自分の頭で考えてもいいんじゃないでしょうか。

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