サンクトペテルブルクという都市・・行ったことはないけどw なんか建物の基礎部分がおかしい??
今回はロシアはサンクトペテルブルクという都市についての話題です。有名な観光地でもあるらしいので、行かれた方も多いことでしょう。
残念ながら僕は訪問したことはありません。
なぜ、いきなり行ったこともないロシアのサンクトペテルブルクについて記事を書いているのか?
それは、ある動画を観たことがきっかけです。それが以下です。
最初は「何を語っているのか?」まったく理解できなかった・・僕らは300年前のことすら忘れてしまうものなのか?
さて、ちょっと何から語っていいのか困惑してしまうような話なんですが・・(僕自身もまだ話の要点を把握していない)
まあ、「都市建設の起源」とでもいうのでしょうか? だれがいつどのようにして現代に残る偉大な都市を建設したのか? ということについて語っている動画ですね。
ま、普通に考えれば・・
我々と同じヒトが年月をかけて築いてきたんでしょ?
っていう理解にはなると思います(笑) べつにおかしくもなんともない理解ですねw
ただね、バカでかい建築物の下層部分がぜーんぶ「埋まる」なんてことがあるのか? しかも一つだけではなくって、あちこちにその痕跡が残っていることに関して、「だれも不思議に思わない」なんてことが本当にあるのか?
僕は何か別のモノを見せられているの?
ちょっと何言ってるかわかんない状態になってますけれども、いろいろな写真を見る限り、確かに建物全体が埋まっているような印象をうけるのですね・・
普通はこんな建て方は絶対にしない。(と思う)それとも建築専門家にはこれが普通に見えるのか?地下の階を作るのに、こんな建て方をするの?
いったいこれはなんなんでしょう?
日本においても古い街道沿いの民家などが道路より低くなって、入り口が地下に降りていくような感じになっているところはある
さてさて、日本でも比較的古い町並みを残している地域ってありますね。たとえば街道沿いの宿場町など。
そういう地域を歩いてみたことがある方は実感として分かると思うんだけど、やけに軒先が低くて、道路から一段下がって入り口に入るっていう建物がある。
これは度重なる街道の整備などで以前の道路がかさ上げされて、そうなるわけですね。
まあ、これは分かるw 住民たちが生活に伴うゴミを道路に投げ捨てて、その結果、道路が盛り上がったわけじゃあない(笑)
他に考えられるのは、「洪水」 によって大量の土砂に埋め尽くされたとか、あるいは「降灰物」によって徐々に堆積物が生成されたとか・・
というわけで、理由はいろいろあるんだろうけど、サンクトペテルブルクのケースでは、そのかさ上げってのが尋常じゃないレベルに見えるわけで。
「いったいぜんたいこれはどうしたことか?」
ってんで、不思議に思った方がいろいろ調査するわけです。
んで、ここからが興味深い話になるんですが・・僕なりに要点を書くと以下です。
なんかね、書いていて「そんなことあるのかよ?」って思えますが・・
日本だとほぼ江戸時代初期から幕末のことですよ。そんな天変地異が世界的にあったのか?
まあ、思い返せば日本では 「飢饉」 なんてのは何度があったという記憶がありますけれども・・正確には覚えていないw この飢饉っていうか・・まあ、天候不順による作物の不作なんていうのはヨーロッパでもあったはずですが・・
もしかして、そういった江戸時代に起こったとされる飢饉とヨーロッパで起こった食料危機が時期的にリンクしているのか・・という思いもあるが・・
世界史の中での「日本の江戸時代」というのがどうも記憶があやふやで、うまく内容がリンクしてきません(笑)
いや、先に挙げた動画の内容ですね・・これが全く理解できなかった・・っていうのも無理はないんですよ。そんな歴史教育だれも受けてないんですから(笑)たぶん受けていない・・と思う。
江戸時代の国内での出来事と、ヨーロッパでの出来事っていうのが全然リンクしないんですよね。
というわけで、不思議な話っていろいろあるわけでね(笑)引き続きウオッチしていくつもり。なんだろうね、これ。
天変地異についてのひとつの情報として以下を挙げておきますね。これも動画の続編で触れられている事柄のひとつ。
これ、みなさん知っていますかね? 僕はまったく知りませんでした。
よく知られている例としては ツングースカ爆発事故 ですね。これは有名ですから。
人的被害こそ少なかった・・というか、シベリアのツンドラ地方で起こった出来事だったから被害がなかったわけで、これが海上やら都市の真上で起こっていたらどうなっていたか分からないw
とにかく奇妙な話なのでね、おそらくすぐには理解できない話だろうと思いますよ(笑)
えーちょっとですね、日本の江戸期における飢饉について調べ直してみたんです。
まあ、大きな飢饉というのは4度ほど起こったらしいんですが、一番有名なのは 天保の飢饉。
これは1833年ごろです。その前は天明の飢饉というのですが、こちらは1783年です。
まあ、だいたい50年ぐらいの開きがありますが、天候不順が原因でたくさんの人が「飯に困った」という記録が残っています。
んで、なんでこんなひどい状態になったのか? その元凶というのはもちろん気候なのですけれども、その気候変動をもたらした原因についてはよく分からない・・というか何も書いてないんですよ、ウィキにはね。
もうちょっと調べる必要はありますけれども、時代はそんなには古くはないです。特に天保なんかは「ごく最近」といってもいい。
明治維新の少し前といった認識でいいのかなぁ。
というわけで、やはり世界的にみると「なんらかの気候変動」ってのが、この江戸期の日本も含めて起こったのではないかとさえ思えてきます。
僕が認識している「歴史」ってのは正しいんだろうか? もしかしてホントは全然違うっていう可能性もありますね。
なんだかなぁ。。
まあ、あくまで僕の妄想ではあるけれども、サンクトペテルブルクの奇妙な建築と、日本の江戸期に起きたとされる「飢饉」・・・なんか関係あるかね? それとも全然見当はずれか・・
大きな天変地異・・たとえば地震、津波、富士山噴火のような大規模な変異に関しては記録がありますから後世においては誰でも資料をもとに検証できます。
それがですね、遠い外国で起こった出来事が原因だったとすると、あの時代では相関というか因果関係なんか分かりかねるわけでね。インターネットなんてもちろんないし、ましてや世界同時的な報道体制なんかもないし・・
そういった意味から「全地球規模での変異」ってのは分からなかったんじゃないかと思うわけですよ。
んー、いまだにこの話・・整理がつかんなぁ。
追記 サンクトペテルブルグについての動画制作者が言わんとしていることは何か?
さて、なんだか訳が分からない記事となってしまいましたが・・(笑) いったいこの一連の動画は「何を語っているのか?」
端的に言ってしまうと「オーパーツ」なんですよ。サンクトペテルブルクに残されているモノというのは、歴史学者が言うには1800年代のモノなんだけど、実際には違うのではないか? というのが動画制作者の言いたいことなわけですね。
精巧な造りのオブジェ、建築様式、それに地中に深く埋もれてしまっている歴史的建築物・・
それらを総合的に考えると、「どうも歴史学者たちの言ってることは辻褄が合わない・・」ということを述べているのです。
いったいなぜそのような認識の齟齬が生まれるのか? 「変だ!」 と思う僕らの認識がおかしいのか? 学者たちは真実を知っていてウソを言っているのか? あるいは学者たちは「これが普通」だと認識しているのか?
どうにも腑に落ちない・・
以上、不思議な話でしたw これはどう「オチ」をつければいい話なのか・・さっぱり分かりませんねぇ (笑)