あなたは世界のことをどれだけ知ってるか? ← ほとんど何も知らないのではないか?
さて、今回の話は「無知」について。
のっけからアナタに質問です。あなたは世界中で起こっている出来事、また過去の歴史についてどれぐらい知識があるでしょうか?
あるいは科学知識についてどれぐらい正確な認識を持っているでしょうか?
世の中には無知を恥じるどころか、開き直って「なんで無知が悪なのか?」といって怒りだす人もいます (笑)
かくいう僕も無知にもかかわらず、それを指摘されると怒りだすという人間なのですがねw
というわけで、ヒトというものは、無知であることを指摘されるとヒジョーに気分を害する生き物なのですよ。
さて、話は変わりまして、最近の僕は「奇妙な話」というものを選択的に視聴しています。たとえば「UFO」「宇宙人」とか、まあ総じていえば 「陰謀論」 に関することであるとか、身近な話題ですと「コロナウイルスに関する様々な言説」だとかね。いろいろ。
んで、なんでこんなヘンテコリンな話題ばっかり見てるかというと・・・
なんですね。
別に僕自身の生活に密接した事柄ではないのだけれど (笑) つまり、これら変な話っていうのは無くても生活に困らない話題なのだけど、なぜかワクワクしちゃうから気になってしまうのですよ。
どこそこのなんとかっていうランチがスゲー安くて旨いとか、このブランドの服はココがスゴイ! とか、新しくできたあそこの施設はスゴイ! とかね・・・そういうのって僕はわりとどうでもいいタイプ。
もちろんテクノロジーの進化による変化には興味はあるけれども、「そもそもの原理そのもの」により興味を惹かれるわけでね。
というわけで、日々、テクノロジーの進化により「過去の常識」が覆され、新しい生活様式が提案されていく。
つまり、「そんなことあるわけがない」 というように、ただのアナタの思い込みですべてを判断してはいけないわけです。
「世の中には出してはいけない情報」というのは確実に存在しているのであり、すべての情報がさらけ出されているとは思わない方がいい。
情報というのは必ず操作されているものであり、支配層の都合のいいように操作されていると思った方がいいです。
くどいですが、すべてがオープンというのはあり得ないです。だから、僕やあなたが必死になって真実を探し求めても、それら真実は歪められ、デマと混ぜ合わされて「もっともらしい結論」へと誘導されてしまう。
なにも知らないくせに否定するのをやめろ 否定するのは簡単、それよりも可能性を考えろ
最近、強烈に興味を惹かれた話に「反重力装置」というものがあります。いきなり話は飛びますが(笑) よくUFOの飛行原理でいわれる言葉ですね。
UFOがどうしてあのような奇妙な動きができるのか?
これからリンクする話は、まあ有名なやつだろうと思われるので、知ってる方もいるかもしれません。それが以下。
ジャーナリスト・翻訳家、「ケイ・ミズモリ」の公式ホームページ – 代替医療、科学、環境問題、平和思想、アメリカ情勢等
上の話は、まあ要するに昆虫研究からヒントを得て、空中浮揚の実験をした方の話です。これがですね、実は反重力という未知の原理で空を飛んだんじゃないかって話なわけで。
なんかワクワクしませんかね?
ついでに「蜂」の飛行原理ってのを調べてみたんですが、これがどうも普通のベルヌーイの定理とは違う原理で飛行しているようなのですね。
まあ、蜂が飛んでるところなんてね、ふつうにみんな見てるわけだけど、だれも不思議には思わないですね。しかし、あらためて観察してみると飛行機が飛ぶのとは全然違う飛び方をしています。ヘリコプターとも違う。
やっぱりイメージでいうと、UFOに近い飛び方だと個人的には感じるわけでね (笑) 静止していたかと思うと、すごいスピードで左右に振れるし、直進も後退も自由自在。
このように、当たり前だと思える事象ひとつとっても、自然は不思議に満ちている。
ついでに「人は空を飛べるはずがない」というやつ。いわゆる「人体浮揚」 と呼ばれるマジックショーでの定番技も、歴史文献をひもとけば「社会的地位」の高い人が実際の現場での目撃証言を残している例もあります。(これはマジックショーなどではなく、とある聖職者の話)
こういった例をどう捉えるかは、おのおのの自由ですけれども、少なくとも僕は「いまだ解明されていない未知の原理」というものが、やはり残されているのだと思いますね。
なので理解不能の出来事に対しては、常にオープンマインドでいたい。ニュートラルですね、否定も肯定もしない、確かめろってやつですよ。
世の中には様々な言説がある ← しかし、本当は誰も何も分かっていない?
さて・・・この記事でのポイントを究極的に書くと以下になりますw
僕らはいったい何なのか?
はい、実に単純な問いですね。「僕らが存在する理由、目的は何なのか?」
この問いは古来よりありまして、自然科学や人文科学を通してずーっと考えられて来た問いであり、その答えとして膨大な文献が遺されています。
しかし、現代に至っても「その答え」というのは、おのおのの持つ信条によってバラバラで、みずからが正解だと思うことを正しいこととして信ずるしか術がないのではないかと思うのですよ。
過去の偉大な知的足跡が遺されているのにもかかわらず、何千年、何万年と繰り返し考え続け、それでもなお、僕ら=人類が何なのか? ってことが分からない。
したがって「世の中には正しいことなんて一つもない」というのが唯一の答えなのかなぁ・・などと考える。
というわけで、僕らはいったい何を基準に物事を判断すればいいのか? もはや議論などしてもムダ、無駄ですよ。そんなことをしても時間の浪費であり、結論など出ない。
また、読書しても無駄。まあ、多読というんでしょうかね。一般的常識では知恵をつけるために「読書すべし」みたいな意見が大勢を占めているでしょうけど、そんなことに時間を費やしても単に「~はこう考える」ということを知るだけであり、それによって人間的に成長するとは思えないわけでw
あなたの身の回りで、読書家で博識な方っていますか? 一般的に言えばいわゆる学者ですね、学問を生業とする方々がそういう立ち位置にいる人だと思うのですが・・・
果たして、彼らが出した答えが正解で信頼するのに値するか?
・・・これには答えがない。現在進行形の質問ですよね。人間の存在意義、意味についてはこれからもずーっと探求がなされていくんじゃないかと思います。
結局のところ、何が言いたいかというと、未だに僕らは何も分かっていないんだから、「お前は間違っている」などと安易に言うんじゃねーよ ということw
まあ、乱暴な表現にはなりましたけどねw、とにかく世の中には正解などないと思っていて間違いないです。コロコロ変わりますよ。