自分のバカさを認めることのつらさ。いまさらながら失った時間の大きさを知る。

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なんでもっと勉強してこなかったんだろう。。

今回のテーマはひとりごとです。だれも興味などない僕の心情です。

 

先に結論を書くと・・「自分がどれほどバカで無知なんだってことを認めるのは本当につらいことなのだ」 ということです。だからこそ謙虚になって学び続けなければならないということなんですね。

 

こういうことを考えるきっかけはニュースピックスにコメントをするようになってからです。

※ 現在はもう書き込みすることはしていません。そして今後もする気はありません。なぜならそんなことで自己承認欲求を満たすことに価値などないと考えるからです。

 

NewsPicksNewsPicks

ここで、なぜ ニュースピックス を取り上げたか? それは色々なジャンルにおいて、いわゆる 「有識者」 と呼ばれる人たちが 「知らないなら教えてあげるるわよ」 といった態度で己の知恵、知識を全力でぶつけてくる場だからですね (笑)

 

ここで心にとどめておきたいことは、「なぜ彼らは自信満々で己の意見を恥ずかしげもなく披露できるのか?」

どうしてそんなに自分の考えに自信があるのか? ってことですねw これはメディアというか、いわゆるウェブ上におけるプラットフォームがなんであれ言えることだと思っています。

彼らは果たして世界中のことを現在進行形でどれくらい正確に把握しているのか? 正直に申しますと僕は彼ら「有識者の見解」というものに対してヒジョーに懐疑的です。

つまり、どれほど読書をし、貪欲に知識を吸収したとしても、それには終わりはない。学ぶことには終わりなどないのですよ。

んで、スタート地点としては 「いかに自分が無知であるか」 ってことを「思い知るがいい」 ってことなんですね。

そういう意味で、自分がバカだってことを認めるのはツライことなんだと。だれしも自尊心はありますからね。自分がバカだと認めることは、それを(自尊心)をハンマーでぶっ叩かれて、粉々にすることなんですからね (笑)

ヘタしたら自己のアイデンティティを喪失することになるかもしれません。

自分が思ってるよりも周りの人はかしこい。これは本当です。

僕の周りにいる人たち。普段はそんなそぶり微塵もみせません。「そんな素振り」というのは、 「わたしは何でも知っていて、あなたとは違うのよ」 みたいな態度のこと。賢い人は偉ぶると周りに嫌われることを知っているからです。

かしこい人は知ったかぶりはしません。めったなことで知識をだしたり、自慢するなどといったことはないです。

ことわざにあるように、”能ある鷹は爪を隠す”

才能や実力のある者は、軽々しくそれを見せつけるようなことはしないというたとえ。

調子に乗って、しゃべってると無知をさらすことになります。すんごくはずかしいです。

失った時間のおおきさに呆然とする自分。

さて、僕はこれまで相当大きな時間を ”バカなこと” に費やしてきました。

バカの基準は ”現在の自分からみて” ということですが。

もっといろいろな体験をすればよかった。やらずに否定していました。

無駄金もたくさん使いました。アホみたいに。。

友人も選ぶべきだった。打算ではなく、ともに向上できるような友人、人間関係を築くべきだった。

本はけっこう読みました。でも、それが自分のものになったか?自分のアタマで物事を考えられるようになったのか?自信がありません。

「こんな勉強、なんの役に立つのか?」などと、えらそうに思っていた時期もあります。

「こんなセンコウ(先生のこと)になんで説教されなきゃなんねーの!」と、いきがっていた時期。

思い出すと本当にはずかしいです。

なんで、あんなに思い上がっていたんでしょう?

今の自分は、当時に比べて はるかに賢くなっていると思いたいです。

まだ時間はある。振り返れば ”あのときも”・・って思うはず。

ある程度、年を取ってくると必ず自分の歩みを振り返ると思います。

そのとき、「これをするには年齢が・・」って思います。

それで、また少し年を取って自分の歩みを振り返るときがきます。

そのときも、また 「これをするには年齢が・・」って思うんですね。

そうして、本当に年をとって死んでいく。

だから、今なんです。いまやるんです。何をするのにも遅すぎることはないんです。これは本当です。

「今でしょ!」のパロディではありません。まじめにそう思います。

死ぬまで勉強ですね。本当にそう思う。

人は自分の知らないことを知ろうと思わなければ、本当に知らないまま死ねます。無知なまま。自分が無知であることも分からずに齢だけ重ねて死んでいく。

自分に関係ないことは知ろうとしない。なにか動機がなければ知ろうとしなくても生きていけるからです。

ニュースに、いちいちコメント付けなくても生きていける。社会がどうなろうと、お金さえあれば良い暮らしができる。

これも本当です。

だけど、僕は社会と関わりたいし、向上心もある。

こういうことを言うと ”意識高い系” などと揶揄されますが、「それのなにが悪いんですか?」

 


 

 

さて、今回は心情の吐き出しでした。つまらなかったですね。

もっと勉強します。

じゃ。

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