ロックの源流はブルースミュージックにある。
音楽なんてね、個人の自由だから 「なんでもいい」 わけですよ。誰かが 「サイコー!!」 って叫べばそれでいい。オレ 干渉しないからね。
というわけで、あくまで個人的な見解だけど好き勝手に書かせてもらう。
ロックミュージックやポップスの原点はブルースにあるってことを言いたいわけさ。
ダイアトニックコードつなげて適当なメロ歌ってエレキかき鳴らせばロックって感覚が嫌いなの。
若い奴でブルースミュージックの源流までさかのぼって作曲を考えてるやつはほとんどいないと思う。
あくまで個人的な見解だけど、「音楽で世に出て成功してやる」 などと考えてる奴。けっこういると思う。どうやって売れるか? とか、どうすればウケるか? とか、そういうことばっかり考えてる奴のことね。
べつにそれはそれでいい。売れてね、有名になっていい生活がしたいと思うのは当然のことだわ。いわゆるハングリー精神というやつだ。
でもね、「君、それでいいの?」 って思う。
オレのやりたい音楽はこれだ!! っていう熱い想いってないの? まずそういう問いに自分自身で答えを出す必要がある。
音楽の基本形はスリーコードだ!! ポップミュージックはこの基本形から逃れられない。
トニックとサブドミナント、それからドミナント。機能和声法が基本である現在の音楽構成では、いかなる技術を駆使してぼやかしても、この感覚からは、ずれることができない。
変わったポップスもたまに耳にすることはあるけれども、一般的な聴感覚からすれば、かなり奇妙な感じに聴こえるはず。
ざっくりと断言するけれども、いかなる装飾も上で述べた聴感覚に沿って作られる。特に意識して作られたものを除けばの話だけどな。
そしてその基本は単純なスリーコードを使ったブルース進行にある。たった12小節でワンコーラスのコード進行だ。
それがブルースミュージックの基本。だからポップスの源流はブルースなんだ。ダイアトニック進行というのは、どちらかというとクラッシックミュージックの考え方だ。
ダイアトニックスケールには ♭3、♭5、♭7 がない。
仮に C音 を基音とした場合、ドレミ~というふうに音をたどると、3度は長3度、5度は完全5度、7度はメジャー7度となる。
このスケールを3度堆積にすると、おなじみのコード群があらわれる。そのコードについてそれぞれを個別に見れば短3度も、増4度=減5度、♭7 も見て取れる。
しかし、これは和声としてみた場合であって、あくまでイオニアンモード=メジャースケールとしてみた場合はセクションタイトルにあるように ♭3、♭5、♭7 がない。
仮にメジャースケールで曲というか何かメロディを書くとしたらどうなるか? おそらくきっちりとドレミ~に沿って歌わないとおかしな感じに聴こえるのではないか?
しかし、実際のポップスにおいてはそんなことはない。それはブルース感覚があるからだ。
ビートルズにしろストーンズにしろ、エリッククラプトンにしろ、歴史を作ってきたロックミュージシャン、ポップアーティストってのはどこかでブルースの影響を受けている。
べつにブルースこそが最高だなんて思ってないけど、ヒストリーってものにリスペクトと関心を持ってほしいなと思うわけさ。
音楽に限らず、いろいろな事柄の実際の歴史や意義に目を向けろってことさ。
以上、好き気ままに書いてみました。今聴いてるのは オールマンブラザースバンドのフィルモアイーストライブ盤。久々に聴いてるんだけど良いですね。よかったらどうぞ。
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追記 日本には日本のポップミュージックの流れ、文化がある。外国と同じに考えてはダメだな。
ちょっと反省と言うか、日本のポップについて考えてみました。
日本には伝統的なブルースの文化がない。これははっきりしている。外国からの文化が入ってきて、それに関心を持った層がやりだして、そして感化されていくという感じ。
もともとあったのは民謡であり、そして流行歌といわれる歌謡曲に変わり、その過程で海外のポップスなどを吸収していった。当然、そこには西洋音楽の牙城であるクラッシック音楽も含まれる。
いまあるJポップ、Jロック っていうのは、そういった流れで考えるべきで、ブルースに根差した音楽じゃないから本物じゃないとか、バカにするんじゃなくて、ちゃんとアイデンティティを持った音楽だと認めるべきだなと思う。
ただし僕は好きじゃないが。
音楽はみなそれぞれに好みと言うか考えがあるもの。どれが一番とか、ルーツがどうだとか、そういうふうに聴くもんじゃない。
あなたが好きなものが一番だということさ。
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