僕は演歌が大嫌いだ!!
日本人といえば演歌。どうなんでしょうね? 僕はそうは思わない。あんなもの大嫌いですから。
なんとなく演歌っていうと朝鮮かも? って感じて調べてみたらやっぱり 「そう感じる」 って意見がありました。根拠については不明。
試しに朝鮮の歌っていうのを聴いてみます。一曲目
「釜山港へ帰れ」 チョー・ヨンピル
まんま演歌ですね。演歌のイメージそのもの。1972年の歌ですから朝鮮ルーツというわけではなさそうです。もっと古いのないかな?
次は本調アリランというやつ。
まんま民謡です。僕の耳には日本の民謡と同じように聴こえます。ちょっと音階が違うような感じもしますけど、こぶしの感じとかまるで演歌と同じ。
次は北朝鮮版トラジ
んー、歌詞を日本語にしたらそのまんま演歌で通じますね。
まともに聴くのが苦痛なのでもうやめます。朝鮮を併合する以前からどうやら民謡というのは存在したようであり、ペンタトニックを基調とした音楽という点では日本の民謡とさほど変わらない。
しかしどうも好きにはなれないです。もうスナックとかそういうお酒の席で歌われるものというイメージしかなくて、鑑賞するもの というレベルじゃないです。新鮮さも精神性も何も感じない。
強いて言うなら、二曲目の本調アリランぐらいか、ああいう文化的側面を感じれるものはまだ良い。
演歌っていうのは近代に作られたものであり、日本古来の音楽文化じゃない。
原始的なワークソング、フォークソングっていうのは民間にはあったと思う。それが各地域に残る民謡です。ただそれが演歌のルーツとしてずーっとあったかというと 「それはない」
ずーっとあるのは唯一 雅楽 のみです。演歌のルーツについては諸説あるけれども、僕は朝鮮説をとりたい。
昔も今も紅白歌合戦といえば演歌だ。
NHK紅白歌合戦のイメージといえば演歌。現在ではだいぶ状況も変わってきたとはいえ、やはり大御所といえば演歌歌手というのは異論はないと思います。あれがいつから行われているのか?
1951年からというから、67年間。戦後まもなくです。敗戦とともに英米の音楽も入ってきたころ。
上は訂正です。演歌とはちょっと話題がずれますが、英米というか、いわゆるヨーロッパの音楽に日本人が接したのはもっと古いはず。明治維新のころよりももっと古い。
江戸時代の鎖国政策がはじまるよりも、もっと古く、安土桃山時代には南蛮船も日本にやってきていたから、おそらく音楽文化も伝わっていただろうと思います。
江戸時代も完全な鎖国ではなくて、出島で貿易してましたから、継続的に音楽に関する情報も得ていた可能性が高い。
さらには遣唐使とか遣隋使の時代にも、ユーラシア大陸の西から、現在のトルコとか、イラン、イラク、エジプト、ギリシャとかの音楽が、隋や唐の都を通して、はるばる日本まで伝わっていたのは間違いない。
正倉院の遺物を見る限り、シルクロードを通して交易があったことは確実ですからね。
ところが演歌に関しては、こういった古い歴史がありません。どういうわけで日本で演歌が幅を利かすようになったのか、僕にはよくわからない。
もしかして
上に挙げた接点から朝鮮の音楽が日本に入ってきた可能性もあるかもですねw
いつからかとは僕には分かりませんが、とりあえずは日本で人気が出ないことには流行らないですからね、日本において商業音楽として成功させたい勢力がいたのは間違いないと思います。
一つの仮説ですけどここでキーマンをひとり挙げたい。それは古賀政男です。
古賀メロディと朝鮮
古賀は日本生まれの日本人です。だけど子供のころに朝鮮に移住し、そこで京城善隣商業学校を卒業します。併合期の朝鮮で思春期を過ごしました。これが彼の音楽性に大きな影響を与えているのではないかと思うわけです。
戦前戦後とヒット曲を量産した古賀氏。併合期と敗戦後、そして朝鮮動乱で日本に大量に住み着いた在日朝鮮人。これらの関係を時系列でたどってみると演歌というものがどうして日本を代表するような音楽になったのか、なんとなく見えてくるような気がする。
ただ、自分自身について正直に言えば、こういった政治的な理由から演歌を受け付けないわけではなくて、なんというか生理的に演歌のような感覚が嫌いなのですよ。
演歌が持つDNAは俺にはない。
おっさんになるとフツーは演歌って好きになるんじゃねーの?(笑)
スナックなんかでお姉ちゃんとカラオケとかやらないのかよ?
僕は、ああいった飲み屋は嫌いなんで、特別の事情がない限り行きません。たいていは一人で家飲みしてます。
マーティフリードマンというギタリストは演歌に触発されて日本に移住した?
マーティフリードマンという 凄腕ギタリスト 知ってますか?
おそらくギタリストなら皆が知ってる話だとは思いますが、彼は「日本の演歌」にかなり影響を受けたらしい。
どこか、彼の感性に訴えるモノがあったんですね。僕にはちょっと理解できかねますが(笑)なんというか、演歌の持つ 「こぶし」 が良いというインタビューを読んだ記憶があります。
演歌独特の歌いまわしだね。
まあ、考えてみると、ギターでもメロディを弾くときに、ビブラートとかかけて微妙なニュアンス出すときあるじゃん? そういう感覚と同じかもしれないよな?
はい、少年の言ってる意味はよく分かる。だからといって、やっぱり僕は演歌は好きじゃない(笑)生々しい歌声、歌い方、訴えるような歌い方・・・そういうドロドロしたイメージ全体が好きという人もいるだろうけど、僕は苦手なんですよ。
よくね、「歌心のあるギター」 とかって表現あるじゃないですか? たとえばラリーカールトン。
ものすごいテクニシャンで、何でもこなすギタリストです。一時期憧れましてコピーとかしたこともありますが、彼もどちらかというと 「演歌系ギタリスト」 と言えるかもしれません(笑)
めちゃくちゃ複雑なことを弾きますが、それを難しいように聴こえさせないとでもいいましょうか、じつに自然に、「まるで歌うように」 弾きこなすわけですね。
結局のところ、僕が演歌として嫌っている部分というのは、音楽の持つ本質的部分ではなくて、「スタイル」なのかなという結論になるかもしれません。
演歌独特のスタイル・・・イメージといった方が近いかも。演歌というのは歌詞とメロディが結びついた一種のエンタメ、ショーですからね。
結局のところ、演歌の表現するところの世界観が嫌いなんですね。男と女の関係とか(笑)まあ、いわゆる「情」に関するテーマっていうのがイヤなんですよ。「義理と人情」というヤツw
なんというか、ものすごく普遍的で分かりやすいテーマの音楽であるにもかかわらず、なぜか非常につまらない感覚しか持てない・・・これが演歌が嫌いな理由なんだろうと思います。
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