
シュメール語の楔形文字って、本当に正確に読めてるのか?

「全部読める」と「何も分からない」の二択で考えると、たぶん間違えるぞ。
この記事を最初に書いたのは2019年です。当時の僕は、シュメール語とアッカド語について調べているうちに、かなり根本的な疑問にぶつかりました。
同じような楔形文字を使っているのに、シュメール語とアッカド語は言語として別物だという。しかも、一つの楔形文字に複数の読みや意味があるらしい。
「ちょっと待て。そんなもの、本当に正確に翻訳できるのか?」
これが元の記事を書いた理由です。
久しぶりに自分の文章を読み返してみると、疑問そのものは今でも面白い。ただ、当時の僕は「楔形文字」と「シュメール語」、そして「文字が読めること」と「文章を完全に翻訳できること」を、少しごちゃ混ぜにしていたようです。
どうも、この中間にある話が一番面白いようです。
まず「楔形文字」と「シュメール語」は同じものではなかった
最初に、昔の僕が少し混同していたところから整理します。
楔形文字は言語の名前ではなく、文字体系です。もともとは南メソポタミアでシュメール語を書くために発達した文字ですが、後にはアッカド語をはじめ、古代近東の複数の言語を書くためにも使われました。
僕らに身近な例で考えるなら、漢字を日本語でも使い、中国語でも使うようなものを想像すると、最初のイメージはつかみやすいかもしれません。もちろん楔形文字と漢字は別の文字体系ですし、完全に同じ仕組みではありません。
重要なのは、「同じ形の文字を使っている=同じ言語、同じ読み方」ではないということです。

つまり楔形文字という「文字」を、別の言葉を話す人たちも使ったということか。

そうだ。
だから文字の形だけを見て、これはシュメール語だと決めることはできない。
ORACCの楔形文字サインリストの解説を読むと、シュメール語とアッカド語は同じ楔形文字の記号群を使う一方、その記号の使い方は両言語でかなり異なることが分かります。
ORACC「Introduction to Cuneiform Sign Lists」
つまり、2019年の僕が感じた「同じ楔形文字なのに、言語によって読み方や使い方が違うんじゃないか?」という疑問そのものは、完全な勘違いではなかったわけです。
問題は、その次でした。
昔の僕は「それなら正しい翻訳なんて無理じゃないか」と一気に結論まで飛んでしまった(笑)
一つの楔形文字に複数の読みや意味がある
楔形文字をややこしくしている理由の一つが、一つの記号が必ず一つの音、一つの意味だけを表すわけではないことです。
単語そのものを表す表語的な使い方もあれば、音や音節を表す使い方もある。さらに同じ記号が複数の語や読みと結びついていることがあります。
実際、ORACCのサインリストを見ると、一つの記号に複数の語や読みが対応している例を普通に確認できます。
では、どうやって読むのか。
文脈、文法、時代、言語、そして他の用例を比較する。
ここで昔の僕は、「ほら、文脈で決めるなら曖昧じゃないか」と思っていました。

やっぱり曖昧なんじゃないか?
読み手の判断が入るんだろ?

現代の言葉だって文脈で意味を決めることはある。
「文脈が必要」と「学者が好き勝手に翻訳している」は同じではないぞ。
確かにそうですね(笑) 日本語だって、「はし」と音だけ聞けば橋なのか、箸なのか、端なのか分からない。でも文章の中に入れば、多くの場合は普通に判断できます。
もちろんシュメール語は死語です。母語話者を連れてきて「これ、どういう意味?」と質問することはできません。粘土板は壊れていることもあり、数千年前の言葉なので、現代語とは比較にならないほど難しいでしょう。
だからといって「全部推測」ということでもない。
今回調べ直して、昔の僕がほとんど理解していなかった重要なものがありました。
古代の人たち自身がシュメール語の語彙表を残していた
これが今回、僕にとって一番大きかった部分です。
シュメール語は紀元前3千年紀の終わり頃までに、日常の話し言葉としては使われなくなっていったと考えられています。しかしその後も、書記教育や宗教、学術の言葉として長く残りました。
そして古代メソポタミアの書記たちは、シュメール語を学び、保存するための語彙表やサインリストを作っていました。
シュメール語の語や記号に、アッカド語の訳を付けた資料まで残っています。
ORACC「Digital Corpus of Cuneiform Lexical Texts」
これは僕の昔の疑問に対して、かなり大きな答えでした。
僕は以前、「後の時代のアッカド人が、自分たちの読み方で古いシュメール語を勝手に理解した可能性があるんじゃないか」と考えていた。しかし実際には、シュメール語が日常語でなくなった後も、それを学ぶ人たちがいて、教材を作り、語や記号の知識を保存していたわけです。
考えてみれば、僕らが古文や漢文を学ぶのと少し似たところがあります。現代日本語とは違う言葉でも、古い辞書や注釈、複数の文章を比べることで意味を追うことはできる。
もちろんシュメール語は時間の距離が桁違いですけどね(笑)
「楔形文字は解読された」という話はどこまで確かなのか
では、そもそも楔形文字を読めるという話そのものは、どれほど確かなのか。
19世紀には楔形文字解読を確認するための有名な検証が行われています。1857年、英国王立アジア協会はティグラト・ピレセル1世の碑文を使い、複数の研究者による解読結果を比較しました。
ORACCのアッシリア王碑文に関する解説でも、この試験が楔形文字解読の成功を確認した出来事として紹介されています。
ただし、ここで検証された中心はアッカド語の楔形文字です。「だからすべてのシュメール語文書も完全に読めます」という意味ではありません。
それでも重要なのは、楔形文字解読が「ある学者が俺には読めたと言い張って、それを全員が信じた」という話ではないことです。
古代の語彙表、二言語資料、固有名詞、文法、膨大な文書の比較。そういった材料が積み重ねられてきた。
現在はORACCやCDLI、電子シュメール語辞典ePSD2のようなデジタル資料まであります。
Cuneiform Digital Library Initiative
僕のような一般人でも、「その単語は本当に存在するのか」「どの時代の文書に出てくるのか」というところまで、以前より追いやすくなっています。
それでもシュメール語が100%完全に翻訳できるわけではない
ここまで書くと、「じゃあ昔のお前の疑問は全部間違いだったのか?」となりそうですが、そうとも思っていません。
粘土板そのものが壊れている。文字が欠けている。珍しい単語が出てくる。一つの記号に複数の読みがある。同じ作品でも異なる写本が残っている。
さらに古い時代へ行けば、文字体系そのものも後世の整った楔形文字とは違ってきます。
現在のePSD2でも語彙項目の追加や修正は続いています。つまり研究者自身が「全部決着済みです」として研究を止めているわけではない。
今の僕は、ここが一番大事だと思っています。
シュメール語は読める。かなりの部分が読める。しかし、文書によっては読みや意味に議論が残る。
昔の僕は「難しい=正確には読めない」と考えすぎた。でも逆に、「解読済み=古代人の言葉を現代日本語の新聞記事のように完全に理解できる」と考えるのも違うでしょう。
昔の僕の「後世の読み方を当てはめているだけ」という疑問
元の記事では、僕はかなり強くこう書いていました。
「後の時代の読み方で、それ以前の言語を理解しようとすれば、おかしな翻訳になる可能性が高い」
今読み返すと、半分は僕の理解不足だったと思います。
シュメール語とアッカド語は別の言語です。アッカド語はシュメール語から多くの語や書記文化の影響を受けましたが、シュメール語がそのままアッカド語に変化したわけではありません。
そして研究者は、単純に「アッカド語ではこの記号をこう読むから、古いシュメール語も同じだろう」と翻訳しているわけでもない。
古代のサインリストや二言語語彙表があり、文書の年代や言語を分け、同じ語の用例を比較しています。

じゃあ、昔の俺の疑問は間違いだったのか?

疑問は悪くない。
「だから正しく翻訳できるはずがない」と結論を急いだ部分が問題だったんだ。
うん。今ならそう思います(笑)
昔の僕は、分からない部分を見つけると、その穴が全体に広がっているように感じていた。でも実際の研究は、その穴がどこにあるのかを一つずつ確認していく作業なんでしょう。
ではゼカリア・シッチンの翻訳は正しかったのか?
僕がシュメールに興味を持った理由の一つが、ゼカリア・シッチンです。
アヌンナキ、ニビル、人類創造。こうした話を追っていると、必ずと言っていいほどシュメールの粘土板や「古代文書の翻訳」という話が出てきます。
そして僕が昔から知りたかったのは、結局これなんですよ。
そもそも、シッチンが根拠にしたシュメール語の翻訳は本当に正しいのか?
以前の僕は、「シュメール語そのものが曖昧なら、一般の学者の翻訳もシッチンの翻訳も、結局どちらが正しいか分からないのでは?」とどこかで考えていました。
しかし今回調べ直してみると、その考え方はかなり雑だったと思います。
翻訳に不確実な部分があるからといって、好きな意味に読んでいいわけではありません。
「学界を信じるか、シッチンを信じるか」という信仰対決をする必要はない。
実際の文字、転写された原文、古代の語彙表、現在の辞書を見る。
もちろん僕はシュメール語学者ではありません。粘土板を見て自力ですらすら読めるわけでもない。
でも2019年にこの記事を書いた時より、一般人が資料へ近づく環境はかなり良くなっています。AIも使える。ただしAIの答えを信じるのではなく、AIに資料の場所を探させ、原文や辞書と照合する。
むしろ今だからこそ、シッチンが具体的に訳した一つの語、一つの文章を選んで、本当にそう読めるのか追ってみる価値があるように思います。
僕はなぜ、そもそもシュメールなんかに興味があるのか

そもそも、なんでそんなにシュメールに興味があるんだ?
普通の人はここまで調べないぞ(笑)
それは僕自身も思います(笑)
ゼカリア・シッチンの話、日本の古史古伝、縄文時代、聖書、神話。昔からこういう話が気になって仕方がない。
僕は、人類の歴史というものは僕らが学校で習ったより、もっと複雑なんじゃないかと思っています。
神話だから全部事実だ、と言いたいわけではありません。でも「昔の人の空想です」の一言で全部を処理することにも、どうも抵抗がある。
シュメール文明の遺物に描かれた奇妙な姿についても、以前「シュメール文明の遺物に見られるデザインについて あれは空想の産物なのか?」という記事を書いています。
あの記事でも結局、「このイメージはどこから来たんだ?」と考えている。
たぶん僕は、ずっと同じことを考えているんでしょうね。
神話にしても、古代のレリーフにしても、楔形文字にしても、その向こう側にいた人間が「本当は何を見て、何を考えていたのか」を知りたい。
だから翻訳が気になる。
結局、シュメール語は正確に翻訳されているのか?
改めて、2019年の自分の疑問に答えるならこうなります。
シュメール語は、かなり読める。
古代のサインリストがある。シュメール語とアッカド語を対応させた語彙資料がある。膨大な粘土板が比較され、電子辞書や公開コーパスも作られている。
だから「学者も本当は何も分かっていない」というのは違う。昔の僕は、そこを言いすぎました。
しかし同時に、すべてが完全に確定しているわけでもない。壊れた粘土板、珍しい語、複数の読み、時代による文字の変化があり、現在も語彙や解釈の研究は続いています。

昔のお前の疑問は悪くなかった。
結論を急ぎすぎただけだ。
うん。たぶん、それですね(笑)
でも今回、昔の記事を調べ直したおかげで、次に何を見ればいいのかはかなり明確になりました。
「シュメール語は本当に読めるのか?」という大きすぎる疑問を繰り返すより、シッチンが訳したとされる具体的な言葉を一つ選ぶ。
原文を見る。転写を見る。サインリストを見る。電子シュメール語辞典で他の用例を確認する。
そして、本当にその意味に読めるのかを追ってみる。
さて。
これはちょっと、本気でやってみたいですね(笑)



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