まずは元ネタから紹介します。この記事で触れている マーケティング手法による作詞について
“売れれば”いいのか?西野カナが公開した“作詞手法”に批判の嵐
したたかな“マーケティング作詞法”
西野はまず、“企画書”として楽曲のコンセプトや設定を考えだした後、一旦自身で詞を書きだすと告白。その後はアンケートや友人への取材を行い、多かった回答や自分の意見を交えながら歌詞に落とし込む“マーケティングリサーチ”手法を採っていると明かしていった。
統計や聞き込みといった大掛かりな作詞法に、ネット上では驚きの声が続出。しかし一方で、
《ネタ集めてるだけやん》
《そりゃ多かった回答使えば共感を得られるわな》
《何か薄っぺらい歌詞だと思ったら自分の経験じゃなかったのかよ…》
《「トリセツ」を「私のための歌」って言ってる子がめちゃくちゃ多い理由が分かった》
《共感性のために多かった回答を利用するって、要はウケだけを狙った産業音楽なのね》
《アーティストなら人がどう思うかより自分の伝えたいことを詞に載せようよ》などといった声も目立ち、楽曲同様に“賛否両論”を巻き起こす事態となっている。
西野カナの作詞手法はなぜ批判されるの?
商業音楽でマーケティングを行うって、べつに普通じゃないんですか?
そうね。ターゲットを明確にして、そこにどうやってアピールして売るか? ってところかしらね。
いわゆるペルソナや、聴き手の欲しがる歌詞、楽想を事前に考えまくって、ピッタリくる楽曲を提供する。これがハマれば売れないわけがないよな。
これ、元記事の引用にもあるけれど、
クリエイター、アーティストがこういう態度で楽曲制作をヤルってことが批判されてるんだよね。
じゃあ、アーティストってのは、どういう態度でいなきゃダメなんだよ?
共感を最大に得られるように楽曲を考えちゃダメなのか?
難しい問題ですね。僕自身はこういうマーケティング思考は全然アリだと思います。だってリスナーにそっぽ向かれたら、そもそもアーティストなんてやってられません。
しかし、まったく創造性がないってのもツマラナイです。自分では思いもつかないハッとする楽想を創ってくれるのもアーティストとしての魅力です。
おそらく彼女は「時代の空気感」みたいなものを統計的手法で探ろうとしているのではないか?
そして、どんな層の人たちに自分の楽曲を聴いて欲しいのか?ということもちゃんと分かっている。自分で自分を売り込むことをしっかり考えて活動してるともいえる。いわゆるセルフプロデュースだ。
けっして所属事務所なんかに任せっぱなしにしないで、自分ですべてをマネジメントしてコントロールする。自分の見せ方、売り方などすべてをね。こういう視点はアーティストには絶対に必要だと思うよ。
アーティストは作品だけ創っていればいいという時代ではないと思う
あなたは西野カナの作詞手法を使ってどれぐらいのクオリティの楽曲を創れるか?
僕は西野カナを知りません。どんな楽曲を創っていて、どれくらい支持されてるのかさえ何も知らない。しかし、あえて言おう。
批判している人は、彼女の楽曲制作手法を使って、どれぐらいのクオリティを持った曲を創れますか?
僕は彼女なりにめちゃくちゃ考えて楽曲創ってると思います。企画書みたいなものを用意して(スケッチといってもいい)、ネタを考えるのはどんな作曲家でもやることです。それら企画にそって集めた素材を組み合わせて、あらたなモノを創っていくわけ。
言っておくけど作曲っていうのは、何もないところから突然降りてくるものではないよ。
それが「できる」 というならまずやってみること。おそらく最初はコンセプトすらまとまらないはずだ。コンセプトがまとまったとしても自分自身にネタというか、小さな楽曲の元になる断片すらないことに気が付くかもしれない。
たくさんの小さな断片からひとつの大きなコンセプトを持つ作品に仕上げるのは相当に骨が折れる仕事です。やってる途中で情熱というか、パッション、フィーリングみたいなものが消えてしまうこともあります。
とにかく、創作活動というのは、統計であれ、なんであれ、どこかからかインスピレーションを受けて意欲が掻き立てられていくモノだと思います。なにか自分を動かす「原動力」みたいなものが必要なんですね。
それが西野カナの場合は、アンケートみたいな統計による答えであったりするわけで、なぜそれがいけないのか? ほんと理解に苦しみます。
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