音楽の本質について

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純度の高い「音楽」とは?

さて、この投稿では「音楽の本質」つまりは、「音楽の純度」について書いています。
いつものことですが、興味のない方はさっさと離脱してください。僕は暇だからこんな記事を書いているわけではありません。

本題に行きます。
あなたは音楽の本質、つまりは音楽の一番「コア」にあるものとは何だと考えるでしょうか?
人間の感情、情動、あるいは 心象風景みたいなものか? あるいはもっと数学的な「何か」か? 黄金比率にみられるような「普遍的存在」・・言い換えれば宇宙を支配する法則のような何かなのか?

僕の答えとしては・・・

上に述べた最後の答えがもっとも近い感覚がします。
そして、それはどんな音楽かというと・・

 

バッハ です。

バッハの音楽さえあれば何もいらない・・

音楽のとらえ方っていうのは、本当に個人的感覚に依存することは十分すぎるほど理解しています。
ここであなたと僕の意見が食い違っていても何も問題はない。
あなたにはあなたの音楽があります。

ただ僕にとってはバッハが紡ぐ音楽は唯一無二であり、「とても純度が高い音楽だ」ということです。
僕にとっては余計なものが一切ない音楽だというわけです。

というわけで僕は毎日、平均律を聴いているのです。バッハの作品はとても数が多くて未だに全作品をを聴いているわけではありません。
が、平均律曲集には「これが音楽だ」というエッセンスが詰まってるように感じています。
なので、新しい音楽にはあまり興味が湧かないのですね。

だって、音楽のすべてが18世紀には(バロック後期)にはすでに完成形として現れているのですから。

ただ、1850年ぐらいからの、いわゆる「印象派」の音楽に対してはちょっと異質なものを感じます。ラベルやドビュッシーなんか良いですね。個人的にはとてもそそられるものがあります。

まあ、簡単ですが 一ギタリスト、あるいはコンポーザーとして感じたことを書いてみました。あくまで僕にとっては音楽は批評するものではなく、自分の内面を映す鏡だと思っています。

 

バッハの音楽はただのアルペジオの羅列に聴こえるかもしれない・・しかし僕にはとても美しく聴こえ、そして、なんど聴いても飽きることはありません。むしろ聴くたびに新鮮な発見があります。
逆説的にいえば、「新しい」と称される音楽は、陳腐な響きですぐに飽きてしまうというか、展開が見えてしまってまったくつまらなく感じる時が多いです。

 

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