じっくり考えないと分からない 弁証法と空気を読む人の話

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空気を読む人 の評価について ブクマが多いから読んでみたが・・

知的レベルが低いのか、理解力が足りないのか、このエントリー 文章 一読して意味がつかめませんでした。恥ずかしい。思わず弁証法を検索してしまいました。

 

「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 – piano-treeの日記

インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといっ…

 

人類の進歩を志向する批判

日本における寛容さ=価値観 とは他人に対する敬意であるが、そこに ”新しい考えを導き人類を進歩させる正義” がなければ評価されない。

西洋における価値観とは 実は信念を持つことや敬虔さではなく、ヘーゲル的な弁証法(Hegelian dialectic)に基づく歴史観にある。

批判の持つ意味

弁証法的史観では 批判すること は、新しい考えを導き人類を進歩させる正義である。

他人に対する敬意という意味においては西洋も日本も同じであるが、西洋が空気を読む人を評価しないのは、本質的には実はそれが弁証法的な批判精神を欠くからだ。

空気を読む人=日本 における批判とは 礼を失する行為 攻撃とみなされる。いっぽう西洋における批判とは弁証法的史観にたって対立を乗り越え、新しい考えを導き人類を進歩させる正義として捉えられる。

つまり批判には二通りあって、前向きな意味での批判=新しい考えを導き人類を進歩させる正義 は、人類の進歩、進化にとっては必要なものなのだ。


 

ざっくりまとめてみたが・・

こんな理解でいいのかなあ。しかしみんな難しいこと考えてるんだね。。

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