「時代が求める価値を創造できる人」と「そうじゃない人」 の話 

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「あなたはどんな価値を世の中に提供できますか?」 人の価値を生産性で測る「不愉快さ」

さて、世間ではクリスマスとか、来年はあーだこーだとかで賑わってますが・・・「んなことはカンケーねぇ」 という私でございます。(笑)

今日は、ふと目にしたブログ記事についてです。

ポイントは「リストラ」ですね。リストラ・・・要は「チミはウチにはもう要らねーから」っていうことで、「会社を辞めてくださいね・・」と言われる事象からの考察ということでございます(笑)

 

 

まあ、自分で事業を営んでいる僕には、直接的には関係ないことなのですが・・・これがなんというか、一読してヒジョーに不愉快といいますか、なんかモヤモヤしたものがありましたので、こうして書いているわけでありまして。

ヒトはAI(人工知能)より賢くなければ存在意義はない?

世間で「人様から見下されるような職業」を渡り歩いてきた僕としては、ホワイトカラーに属する職業の人というのは、じつは「とんでもなく憎むべき対象の人たち」なのです。僕にとってはね。

これは誇張でもなんでもなく、事実です。僕はいま現在は、高学歴の方々ともフツーにお付き合いはあるのですけれども、彼らに見られる特徴というのが実に鼻もちならなくて、本当は嫌いなのですよ。(笑)

分かります? 学歴とか自身のキャリアなどを、さりげなく周りにアピールする姿ってのが、ものすごく嫌いなの。そうじゃない方もたくさんいますけどね。

ちょっと話がそれてしまいましたが、このようにヒトは、少しでも周りより抜きんでるために人知れず努力をするわけで。

「オレはアイツよりも賢くて偉くなるんだ」 というような競争といいますか、いわばサバイバルのなかに僕たちは生きているといっていい。

そして、それを測るモノサシが経済力であったり、社会的なポジションであったりするわけです。今風に言えば「上級国民」と呼ぶのでしょうかね? んで、世の中にはそういった欲望を実現するための情報があふれている。すなわち、自己実現するための方法論ですね。

そういった文脈から、上で取り上げたブログ記事を読んでみる。

 

すると、コレは 「いかにして将来、取り残されずに社会のヒエラルキーの中で、上層部として生きられるようになるか?」 という方法論なのですよ。

 

だから、社会の最底辺を生きてきた僕には、「ものすごく不愉快に感じる」・・・本当に生きることに不器用で、自分に正直で、だけどやさしい心を持った方というのはいるんですよ。だけど社会的には恵まれていない・・・お金を稼ぐ才覚がなくて、それゆえにバカにされ、底辺で生きていくことを余儀なくされている人はたくさんいるのよ。。

結局のところ「人生においてどんな価値を最高位に置くか?」は人間性なんだよなぁ

 

なんか、とりとめのない話となりましたが、「人の価値観」 というのは当然だけど色々ある。その中でもとりわけ 「経済力が世界を支配している」 のは厳然たる事実。経済力イコール正義という価値観です。

例の「金で何でも買える、幸せさえもお金で買える」 というヤツ。

しかし、世の中はお金で動く人ばかりではないのも事実。自らの信条で動く方も大勢いらっしゃるのです。先ごろアフガニスタンにて暴漢に襲われ亡くなられた中村医師のように。あるいは名も知られずに、人知れず地道にボランティア活動に従事している方々・・

だから経済的効率ばっかりで物事を考える企業や個人は、いずれは破綻する。そこにプラスして何か将来的なヴィジョンがなくてはダメだと感じるのですね。究極的な経済効率なんて言い出したら・・・もう人なんか要らないですから(笑)

いわゆる 「社会的意義」 を創り出せる・・・いや、言い換えるなら、人類の幸福に寄与できる価値とは何か? を考え続け、実行できることこそが人生にとって意味あることなんじゃないかなぁ・・なんて(笑) ちょっと真面目過ぎて照れくさいわね。

 

あン? おっさん、今日はずいぶんアレだな?(笑)

でも、オレも社会的意義、価値ってのは考えなきゃいけないなぁとは思うぞ。

 

 

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