世界的なコロナ騒動によって確実に世界は変わる
んー、おそらく日本において(地区は限定されるだろうが)非常事態宣言が発令されることは確実な情勢となりました。
「待ってました!」 という方もおられるだろうし、「いや、ちょっと待った!!」と、もの申したい方もいることでしょう。
僕は一連の世の中の動きをウオッチしていて、ある「未来予測」について注目していました。
それは、1949年に出版された「1984年」という小説です。詳細については以下を参照してください。
なんで「1984年」というディストピア小説がコロナパンデミックと関係がある?
僕がどうして 「1984年」 に注目したか? いや、僕だけじゃない、他にも 世界的コロナウイルスパンデミック に関係して、この小説で描かれているディストピア社会についていろいろ言及している方が多くいる。
その理由は・・・「全体主義」 です。(と、僕は考えている)
えっ!?
日本は議会制民主主義国家だぞ?
戦時中じゃあるまいし、そんな独裁国家になるわけねーじゃん?
ええ、そうですよね。日本国憲法でも個人の自由は保障されている。
でも、考えてみて欲しいのだが、仮に非常事態宣言で個人の自由が制限されることになったら、「たとえゆるやかでも」 全体主義と言えなくもない。
そして、なぜこの流れが恐ろしいか?
それは「同調圧力」が働くからなんですよ。つまり、全体のためには個人は犠牲になっても構わない・・・という考えによって個人の自由には制限が加えられていく。
自粛要請が実際には周囲の監視によって「半強制化」していくわけです。法による強制力の執行ではなくて、民意による強制と言ってもいい。
全体のために個人が犠牲になることが当たり前の社会になっていくんですよ。あなた、コロナ騒動を見ていて何か気付きませんか?
それって一部の独裁国家・・・
たとえば北朝鮮とか中国なら分かるけど・・
日本を含む西側の先進国ではありえないだろ?
いや、僕はあり得なくはないと思う。つまり「国家のためには我慢しろ!」っていうのはすでに首脳たちが言ってる。
僕たちを待ち受ける社会とは
今後、民意がどう変化していくか? それは選挙結果を待つことでしか分かりません。
ここでは僕が思う「未来社会」 ってのを書いてみたい。
まず、中国みたいな監視追跡システムが導入される。人権がどうのこうのって騒ぐ連中が必ず現れるけれども、そういう意見は民意で打ち砕かれる。
人権を盾に国家意思に背くものは、次第に政策によって不利な状況へと追い込まれ、生活が立ちいかなくなる恐れがある。国家的危機の時に人権を盾に逆らえば、それがイコール「人民の敵」となるわけです。
まあ、うえで書いた民意ってのは「全体主義」的傾向が強くなるだろうってこと。国家を安定させなきゃいけない時に個人の権利もへったくれもあるか! ってな感じでしょうかね。
その昔、国家総動員法 なんてのがありましたが、混乱が続けば似たような法案がまた出てくるんじゃないでしょうか。
さて、次に思うのは、国民の健康管理でしょうか。これはどうやって行うかというと、個人の健康管理情報を端末から集めて、集中管理するんです。
まあ、体内にチップを強制的に埋め込むなんてのは、ちょっと行き過ぎかもですが、たとえば腕時計みたいなヤツとか付けてもらって、それでリモート監視するとかね。
行動履歴、位置情報、体温、などなど異常を検知したら、即、警察なり行政機関に確保されて隔離施設に放り込まれてしまうとか(笑)
あと、思想 ですね。これは架空ストーリーである「1984年」では、言葉自体を変えてしまうという方法で対処していたと思います。
つまり個人の自由につながる言葉自体を使えなくする。詳しくは以下。
どうです? なかなか面白いでしょ? まあ、面白いというよりは、恐怖を感じるかもしれません。
上で書いてきたことや、1984年という小説内容は、ある意味、中国共産党のやり方に似ています。
歴史を改ざんして、ウソの歴史を国民に植え付け、国家スローガン実現のために反体制派を粛正、弾圧し、教育する。
全国に監視網を整備、少しでも不穏な動きを察知するとすぐさま治安部隊により制圧される。
国家意思に背くものは容赦なく収容所送りとなる。共産国家というより、全体主義国家ですね。
さて、まとめて言いますと次のようになります。
ええ、でも僕には通常運転に戻る気がしない。