ちょっとタイトルの意味するところが曖昧なのですが、「なぜクラシック音楽には、ポップスやロックなどのようにドラムサウンドがないか?」 ということについて書きます。
近代に入っていくとパーカッションの入る曲もありますが、時代区分としてはドラムセットができる前の時代となります。
音楽は作曲された時に存在する楽器、もしくは作曲者が知りえる音でしか楽想をイメージできなかった
いろいろな楽器には、個別の成り立ち、ストーリーがあります。ギターもピアノも、それにあらゆる管楽器、弦楽器、パーカッションなどなど、ありとあらゆる楽器には、現在当たり前のように使われるシンセサイザーも含めて「楽器の歴史」があります。
当然ながら時代によっては存在しない楽器もあり、それは地域の違いによってもかなり偏りがありました。
バロック時代に、現在のように世界各地と瞬時につながることができる通信手段があったと仮定するならば、バッハが残した作品はかなり違ったものになっていたであろうことは容易に想像することができます。
だから、ドラムセットがなかった時代には、ドラムセットを叩きまくるような楽想というのは思い浮かばず、パーカッションやシンバルなどで表現しようとした。
現代の作曲者がなぜドラムセットを使わない曲を書く場合があるかというと、ドラムサウンドを知ってはいるが、使いたいとは思わなかったとしか言いようがないです。
逆に「ドラムサウンドが欲しい」と考えれば、ガンガン鳴らす曲を書くのではないか。
なぜロックではドラムサウンドが重要な位置をしめているのか?
オーケストラとかクラッシック音楽とはちょっと離れますが、ロックミュージックやジャズ、それにポップスの世界では当然のようにドラムサウンドが入っています。
あたかも、それが(ドラム)がいるのが当然であるといった風に。
べつにこれもドラムがなくてもいいんです。ドラムがないヘビメタとかあってもいいんですね。聴けるかどうか、サウンドが締まるかどうかは別として。
あってもいいけど、ロックやコンテンポラリージャズにはやっぱりドラムの持つ 「力強さ、荒々しさ」あと、スピード感とかね、そういうサウンドイメージが欲しい。
だからドラムがいる。
ドラマーは、ただただテンポをキープするだけとか、一定のリズムを刻むだけではなくて、そこに表現者としての存在がなければダメだと思うわけです。
「ドラムは音程がないからつまらない、ドラム叩いてもメロディが浮かばない・・・」
っていうセリフを聞くことがあるんですけど、僕はそういう風には捉えていません。ドラムサウンドだけでも十分、音楽的に聴くことはできますし、(音程やメロディがなくとも)実際にドラムソロをみなさん楽しんでいるのではないでしょうか。
バロック音楽時代に「パーカッションをセットで組んで一人で鳴らす」という発想があればどんな作品が現在残されていたのか、興味あります。
上の動画、初めて見たんですが面白いです。これってCGですかね?
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