お墓なんかいらない!いや、お寺や坊主がいらんだけや 

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死者を葬るお墓。

お墓とはいったいなんだろう?

お墓とかお寺というものが本当に必要なんだろうか?

お墓なんかいらない!!

僕はお墓なんか欲しくないです。入りたいとも思わない。粉々に灰になって海とか宇宙とかに散骨してほしいぐらい。

それにお経も坊主もいらん。

なぜって?

それは死者を弔うことをビジネスにしているだけだと思うから。

戒名をもらったり、お経をあげたりお寺にお布施することの意味

さて、お経を聞いてあなたは 「ありがたや」 と感じますか? また、一文字いくらといった感じで戒名にもお金がかかりますが、ああいうものに有難みを感じるかどうか?

僕はこれまでお経に感動したことは一度もありません。みんな家でお経をいただいて、ありがたがってお布施をします。

相場があってないようなものなので、いくら包めばいいのか人に聞いたりする場合もあるでしょう。

意味としては、坊主や寺に対するお礼という意味と、死者に対する供養の両方の意味があると思います。

果たしてお経で成仏できるか疑問であり、お経の持つ意味も正しく理解しているとは言いがたいですが、気持ちとしては「区切り」のような、ある種さっぱりした気持ちになるのは間違いないです。

ですが、これらの一般的なしきたりといいますか、慣例ってずーっと続けないといけないことなのか、いろいろ疑問に感じることもあります。

お寺というのは維持費がかかる

どこかのお寺の檀家になっているお家の人は良く分かってると思いますが、お寺というのは檀家全員で維持していきます。

檀家から集めたお金、お布施で住職の生活やら、お寺の補修などすべてをまかなうのですね。もっともそれだけでは住職の生活が立ちいかないので、別に仕事を持っている場合もあります。

一応、会計報告というのがあって、何にどう使ったのかとか分かるのですが、これには本部への上納金みたいなのも含まれています。

まあ組織としてちゃんと上手いことなっているのです。

んで、住職が高齢で引退するとなると、後釜をいろいろ探し出してきて、やれ仕事を世話しろだの、もっとお布施をくれとかいろいろ言うわけです。

たいていの田舎の檀家っていうのは摩擦を嫌いますし、信仰心も篤いですからあまり揉めるようなことはいいません。

こうして末代までこのシステムが続いていく。

お寺の集金システムはもうすでに崩壊している

近い将来、信仰心の篤い田舎でも檀家が消滅して廃寺になるところが増える。いまだっていろいろ問題になってるお寺って各地あらゆるところにあるものね。

だって跡継ぎが田舎にいないんだもん。遠く離れた生まれ故郷のお寺のためにわざわざ足を運んでお寺のボランティア活動をしたり、多額のお金をお布施しますか?

その土地で生まれていない3代目ぐらいになると、おそらく「関係ねーわ」ってなるんじゃない?

まあ信仰心のある方はお寺に熱心になるのでしょうが、おそらくそれは無駄なあがきみたいなもので、死生観が変われば、お寺の持つ意味も当然変わる。

先祖を敬う気持ちは大事、だけどそれはお金やお寺の立派さで測るものじゃない

僕はやっぱり先祖って大事なものだし、敬うべきものだとは思います。だけどお寺がその拠り所として大事かっていうと「ちょっと違う」

気持ちの拠り所ってのは華やかな場所、モノじゃなくって、心にしかないものだと思うのね。だから無理して立派なお堂なんかなくてもいいと思う。

どこか先祖の故郷のひっそりとした山奥でもいいから、こじんまりとお墓があればいいとさえ思います。あるいはどっか散骨しちゃって墓所なんかなくてもいい。

お寺の檀家システムっていうのが、どういう目的でいつごろから存在しているのかはよく分からないけれども、現代に合わなくなってきているのは確かだと感じます。

散骨しちゃって部屋に写真だけ飾って、時折、故人や先祖に想いを向けるだけでいいのではないかと思う。べつに毎年、訳の分からないお経なんぞあげなくてもいいんじゃないかと思う。それに宗派も関係ない。

くだらないことに心を惑わすことなく、素直に先祖に感謝できればいいのです。

 

 

 

 

コメント

  1. 超人の見習い より:

    共感しました。墓も寺も宗教も要りませんね。

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