レッドツェッペリンのカシミール 楽曲分析 

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レッドツェッペリンのカシミールってなんなのさ?

はい、おもに1970年代に活躍した世界的ロックバンド、LED ZEPPELIN の楽曲のひとつですよ。

それがどうしたっていうのよ?

この楽曲にはギターのソロパートはありません。当時のロックミュージックの常識では普通ギターによるソロっていうのが楽曲の見せ場、聴かせ場のひとつでもあり、非常に人気がありました。

もちろん現在でもギター好きにとっては楽曲の中で重要な位置を占めています。(ギターソロなんていらねえ ギターソロ不要論、いわゆるギターソロなんかいらね派もありますが)

しかし、このカシミールにはギターによるリフのようなものはあるけれど、いわゆるギターで単音を主に使った自由なアドリブパートのような箇所はまったくないのです。

にもかかわらず、リスナーの評価は現在でも非常に高いです。

楽曲の特徴はそれだけでなく、曲の構造も非常に特異なものとなっています。発表されてからすでに40年以上たっていますが、今現在聴いても非常にスリリングで、不思議な魅力のある楽曲です。

なんでそんな昔の曲、カシミールについていまさら記事を書こうとおもったの?

それは、話せば長くなるのですが聞いてくれますか?

いいよ、好きに書いてみて

カシミールに想いが至る原因となった「タッピングや高速運指、スイープピッキングによるギターソロ」のつまらなさ

以前からギターソロには興味があって、YOUTUBE などでいろいろ動画を観ていました。

ギター演奏動画には、ひとつの流行りといいますか、ジャンルのようなものがあります。

たとえば誰それの完全コピーだとか、右手を使ったタッピングの高速連続技だとか、スイープピッキングの高速連続ポジション移動による演奏だとか、こういうのは、いわゆる ピロピロ系ギターソロジャンル というやつで、YOUTUBE にはほんとにたくさんアップされています。

特に人気があると思われるのは、「女性もしくは子供たちによる 見た目と演奏内容とにギャップのある動画」 なんじゃないかと思います。

「え!? こんな子供(あるいはカワイイ女性)がなんかすげー運指でギター弾いてるぜ?」

みたいな。

それをもうゲップがでるくらい、お腹いっぱいになるまで聴きまくり、見まくりまして、

「あぁ。。。こういうのはもういいかなぁ。。」

と、強く感じたのが ツェッペリンのカシミールについて書こうと思ったそもそもの原因というか動機です。

高速運指によるタッピングやスイープピッキングがなぜつまらないか?

これね、演奏している本人はすごく気持ちがいいと思います。

「どうだい?オレってすごくね?」

「わたし、こんなこともできるのよ?どう?」

まあ、見世物としては面白いけど、やっぱり音楽としては 「とてつもなくツマラナイ」ですね。

賛否両論あるとは思うけど、僕は非常につまらなく感じるし、すごく残念な気持ちになります。

なぜって?

単純に言ってしまえば、そこに心を動かされるモノがないからです。ものすごい運指やらピッキングを見せられても感動しない。

鳥肌が立つような、そういった感覚が呼び起こされないんですよ。サウンドを聴いてもグッとこない。本当に単純なことなんだけど、どんなにきれいに華麗に速く弾かれてもまったく感動しない。

ツマラナイ理由にこれ以上のものはありません。

感動しない

たったそれだけです。

それはあなたのギターに対する価値観の違いじゃないの?

確かに、そうかもしれません。ただ、価値観の相違 という言葉を使われると、どんな事柄でも、価値観の違い という言葉で片づけられてしまうのですよ。

フレーズ自体が音楽的におもしろくない

もうひとつ、高速フレーズが音楽的におもしろくない理由があります。それは・・・

音と音のぶつかりによるサウンドの変化を感じ取りにくい

文字、文章、言葉で表現するのはちょっと難しいのですが、いわゆる音程差によるニュアンス、表情の変化というものに乏しいから。

どういうことかというと、サスティーン、持続音 というのが音楽のひとつの重要な要素であるということなんです。

単音だけブツ切れに聴いても、そこには和声感というのはほとんど感じ取れません。いや、実際にはコードサウンドというのは聴きとれるのですが、響きを「美しい。。」 と感じるのは前の音の残響が残っていないとダメなんじゃないかと思うのです。

例えばピアノ。僕はどちらかというと、ペダルを踏む、あるいは 鍵盤を押さえっぱなしにして、残響音を残しながら他の音とぶつかったときのニュアンスを感じるほうが好きです。

アコースティックギターなんかも残響を感じやすい楽器です。というより、むしろ残響がないと美しく聴こえないといってもいい。

こういった残響音はいつでも使えばいいというものではなくて、(残響で音が濁るので)もちろん考えて使うべきではあるけれど、響き、コード感というのを強く感じさせてくれる。

いっぽうでエレキギターによるスイープピックキングでは、残響音というのはアウトであり、(音を残してはダメ)あたかも単音で分離して聴こえるようにする。

そしてなにより、そのフレーズ自体がただのコードの分散であること。もしくは一部コードスケールを入れたりしていますが、基本的に響きは単純。

言ってみれば、ドミソっていうのを 「いかに複雑に音数を多くして、華麗に、しかも速く、聴かす、あるいは弾くことができるか?」 ということに注力しており、そこに 「音程差からもたらされるニュアンスの違いを感じ取る姿勢」 が著しく欠けている。

これが音楽的魅力に欠ける原因じゃないかと思っています。

テクニックを見せつけるギター演奏のつまらなさは、やってる演奏そのものが完全コピーというのもある

テクニシャン系ギター演奏動画のツマラナサは、完全なオリジナルの再現を目指しているということも原因のひとつかもしれません。

これが、たとえばアドリブがまったくの彼らの創作だったら、また違った風に聴けるんですよね。もちろん良い意味で「聴ける」ということです。

やっぱり演奏者っていうのは、その人自身の楽曲に対する「解釈」というのが問われると思います。

そしてもちろん評価されるのはオリジナルに忠実だということではなくて、その人のクリエティブという部分に対してされるものだと思います。

オリジナルを吸収、咀嚼したうえで、「自分ならこういうふうに表現する」もしくは 「自分にはこういう風にしか表現できないんだよ!!」 というのが感じ取れれば良いんですがね。残念ながらそういう動画にはお目にかかったことはありません。

スティーブヴァイ、ジョーサトリアーニ、イングウェイ、ヴァンヘイレンなどが評価される理由、それは模倣から始まったものをオリジナルとなるまで昇華しているからこそだろうと思います。

ひるがえって、ツエッペリンのギタリストであるジミーペイジはどうか?

彼のギターソロってとんでもなく荒いですね。俗にヘタウマと言われているように、元々アイデアも豊富で上手いんだけど、ライブなんかは勢いに任せて荒く弾いてることが多い印象があります。

悪く言うと、とんでもなくヘタに聴こえる。しかし・・・

彼には独特の和音感覚、和声感覚があって、それがツェッペリンサウンドの重要なファクターになっていると思うのです。

まったくの妄想だけど、ツエッペリンのギタリスト ジミーペイジの聴感覚っていうのは アコースティックギター を弾くことによって育てられた(鍛えられた)ものなのかもしれません。

ジミーペイジには独特の和音センスがあると思う

さて、ここから具体的にカシミールの楽曲分析について書いていきます。

以下に書くことは、あくまで僕の耳が聴いたコードサウンドということでご理解をお願いしたい。

ふう。。やっとですか?

カシミールのキー、調号はいったいなんだろう?

まずカシミールを聴いて一番印象に残る音、サウンドはどこか?

僕の場合は、一番低い音、Dの音です。ギターもベースもレギュラーチューニングでは出せない音ですね。

普通じゃ出せない音をどうやって出してるの?

それは、一時的にチューニングを1音(全音)下げてるんです。

カシミール wiki

上のリンクを確認しますと、ギターのチューニングは DADGAD となっているようです。

んで、この低いD音が通奏低音となって ロバートプラントの歌声、いわゆるAメロのバックにずーっと響いています。音楽理論的には一種のペダルポイントというべき用例ではないかと思われます。

いっぽうで、上声部ではコードサンドが変化していきます。レギュラーチューニングでのサウンドは以下のようになります。

音名の順列はギターに対応しており、左から 5弦、4、3、2、1弦 となっています。

ADADE→ADB♭DE→ADBDE→ADCEE→ADDF♯E

以上となります。

これが「ずっと鳴り響いている低いD音」の上を循環してる構造となります。

最初の歌声の部分、つまりAメロはどうなっているのか?

じつはプラントの歌声にハーモニーを付けてみると(通称リハーモナイズという)をやってみると、もうひとつコード進行が見えてきます。

メロディそのもは非常にシンプルで、おそらく D のメジャーペンタトニック。

隠されたコード進行というのは、Dトライアドの内声である5度の音、A音が半音進行で下降する音形を指しています。

最初に考えたのは、D音を主音として考えると、循環のつなぎ目で第4音であるGがシャープしているのでリディアンかなと思いましたが、これはいわゆるラインクリシェと呼ばれる手法であり、内声をなめらかにつないでいく音の使い方。

コードスケールとは別の考え方であり、この音をモード(コード機能的な)の特性音と考えてしまうとキーが分からなくなる。

つまりキーは明らかに、Dmaj であり、循環つなぎ目に現れる第4音のシャープはラインクリシェ的、もしくは経過音として使われている。

あ、思い出した! key in D であらわれる 4度♯ は、 5度音 A への クロマティックアプローチノート ですね。たぶん。森のくまさん ある日~ というメロディと同じだー(笑)

もう一つ付け加えるならば、ストリングスの上昇系ラインとヴォーカルのメロディラインに隠された下降系ラインが上手く組み合わさって、いわゆる対位法的アプローチとなっている。

ストリングスの上昇していくサウンド、いっぽうの歌声、メロディに内在するコードの下降するラインが絶妙に合わさって、あの「何とも言えない奇妙な美しさ」をつくりだしているのではないか?

 

次は一拍半で跳ねながら降りてくるフレーズについてです。

印象的なシンコペーション 下降して繰り返されるサウンドはいったいなんだろう?

メインテーマであるロバートプラントの歌に続いて繰り返される印象的なフレーズ。メロディというのかリフと呼ぶのかよく分かりませんが、これの和音について考えます。

一拍半で跳ねながら下降する音型です。

一般的に人の耳は一番高い音をメロディとして認識します。というわけで最初はこの一番耳に残るトップノートをギターでなぞります。

つぎに、この拾ったトップノートの下に音を足していきます。この作業で 2音を重ねた重音、あるいは三和音、四和音・・・というようにコード(響き)を探します。あるいは 創る といってもいい。

この作業は理論的に行うというよりも、聴覚を頼りに手探りで探したほうがいい。

理由はその方がより直感的で音楽的だから

さて、このパートにおいても最低音というのは D のままです。したがってトップノートの下に音を重ねていってハーモナイズすると理論的には分数コードみたいな感じになる。

6弦ギターのレギュラーチューニングで再現すると以下のようになります。

C△(6弦ルート)→G△(5弦10フレット)→B♭(6弦ルート)→F△(5弦8フレット)→G△(6弦3フレットGをルートとするコードフォーム)

上記のコードの流れは、すべて1弦から3弦の3音で構成されて、4弦の解放弦である D を響かせながら下降します。

ここまでを前半として後半は以下です。

F△/D→Am△/D→E♭△/D→Gm△/D

後半も前半部と同じく、4弦開放のD をルートとして、1弦から3弦だけでそれぞれの トライアド 三和音を作ります。

最後に シングルノートで F→E→D です。

文字で書くと分かりにくいですが、やってみると意外と簡単で、3弦、2弦、1弦 を使ったトライアドのコードフォームを変化させながら下降しているだけです。この間ずっと4弦解放 D音 が一緒に響きます。

第3のパート Aドミナントコード

次に現れるパートは、A7thコード による 間を大きくとったリフみたいなところ。

ここで一気にブルースフィーリングを感じるようになります。コード機能では主音Dに対するドミナントで、Amajペンタトニックやら、もしくは3度をフラットさせて、もっとブルースっぽく弾けるところ。

しかしカシミールではロックンロールの定番リフみたいなのをちょこっとだけ弾いています。

第4のパート いきなりサブドミナントマイナー Gm へ

主音 D に対する 第4音 は通常 Gメジャー7コードですが、カシミールでは サブドミナントマイナー という形でいきなり出てきます。

続くコードは A7 となり、第3パートと同じコードだけど、コード機能はまったく違うものになっています。

このパートのメロディは Gドリアン。A7のコードスケールは Aフィリジアン または Aハーモニックマイナーパーフェクト5thビロウスケール。

上記の二つ目、長ったらしい名前はべつにどうでもいいです。覚えても大した意味はありません。ややこしくなるだけです。要するに フラメンコ風スケール であり、感覚的に捉えた方が分かりやすいです。

このパートは主調が一時的に Dm  となって転調していますが、主調であるDmは一切出てこず、再びD音を最低音とするメインテーマに戻っています。

なぜこのパートでいきなり雰囲気を変えてきたのか?

これはたぶん 楽想 によるものだと思います。つまり曲のプランといいますか、Kashmirという曲名からも想像できるように、ある物語、ストーリーから楽想を得ているのではないかという説があります。

これも話すと長くなるので、以下のリンクを参考にしてほしい。

「カシミール」と「失われた地平線」 ーフィジカル・グラフィティ論・補遺― 

要約すると、「シャングリラ」 にもう一度行こうとする男の物語です。(超かんたん!!)おそらく何言ってるかさっぱり分からないと思うので(笑)リンク先を丹念に読んでみて欲しい。

とても不思議で魅力的なストーリーだと僕は感じました。

んで、ロバートプラントがこのストーリーにインスパイアされてKashmirの歌詞を書いたんだとか。僕は歌詞の内容には普段はまったく興味がなかったのですが、さすがにこの曲だけは興味がありますね。

参考wiki シャングリラ

だから、そういった文学作品から得た着想から雰囲気的にこういった中央アジア・・・イランとか「なんとかスタン」といった国々に古くから伝わる 伝統音楽のエッセンスを取り入れたかったんじゃないかと推測してます。

最終節の解説

楽曲の終盤は、サブドミナントマイナーであるGドリアンスケール、およびAフィリジアンスケール音の上昇がモチーフとなっています。

サウンド的にはいつまでもトニックに解決しないので、無限に続いていくような錯覚に陥りますね。実際にサウンドの方も 主調である D には落ち着かずに ドミナントであるはずの A で解決されてしまいます。

でも不思議と違和感がありません。

違和感が消える理由は、D、F、B♭ という Gマイナーコード の 「構成音」がそっくりそのまま 半音下がって Aトライアド の構成音である D♭、E、A になって「解決感、落ち着き感」をリスナーに与えるからです。

この音の動き、コードサウンドの変化による 「落ち着き感」、「終止感」 というのは、通常の場合 ドミナント→トニック というように表現されます。

しかしカシミールでは、コード機能しては通常のドミナント解決による終止ではなくて、ラストでAトニックとして転調している。

6弦ルートのコードフォームからは、視覚的にはなかなか気付きにくい音の動きですが、5弦ルートのコードフォームから見ると分かりやすいです。

 


 

以上で簡単だけど楽曲解説を終わります。

ずいぶん長かったですねー

おつかれさま。

でも、これ誰か読んでくれるの?

わたし心配だよ

追記 失われた地平線について

ロバートプラントが実際に読んでKashmirの着想時に触発されたかもしれない小説

「失われた地平線」

実は 1933年に発表されています。当時はこの小説を題材にした映画も作られて、かなりの人気を博したらしい。

現在にまでいろんな方面、分野に影響を及ぼしていることを考えると、普通の冒険小説のようでありながら、なにか普遍的テーマを内包していることがうかがえます。

僕としては、著者である ジェームズヒルトン が、失われた地平線という小説を構想したその背景やら、実際のモデル、そして事件などが知りたくて調べようとしたのだけど、簡単なリサーチだけではどうも無理っぽい。

まったくの白紙というか、何もないところから着想することはまずないと思うので、なにかしらモデルとなる伝承とか、文献、資料があったに違いありません。

知りたいなぁ。。


小説のモデルについて、ちょっと思い当たる節があったので書きますね。

神秘思想家のプラバツキー夫人

ヘレナ・P・ブラヴァツキー

直接のモデルとは言えないんだけど、時代背景や年代から考えて、彼女の思想や遺したものというのは著者にかなり影響を与えていたのではないかと僕は想像します。

ツェッペリンのジミーペイジも傾倒していたといわれる アレイスタクローリーとはオカルティズムつながりのある人物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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